鶴林寺 前編

 加古川市加古川町北在家にある刀田山鶴林寺は、587年に聖徳太子秦河勝に命じて開創させた寺院である。

 10月19日の「多可町の寺院」の回でも紹介したが、584年に高句麗から渡来した恵便法師は、廃仏派の物部氏の迫害を受け、東播磨の地に逃れ、身を隠した。

 恵便法師の教えを受けに播磨に来た聖徳太子は、秦河勝に命じて、四天王寺聖霊院を建立させる。これが鶴林寺の前身である。

f:id:sogensyooku:20191207170841j:plain

仁王門

 その後、養老二年(718年)、武蔵の大目「身人部春則」(むとべはるのり)が太子の遺徳を顕彰するため、七堂伽藍を建立し、さらに9世紀の初め慈覚大師円仁が入唐の際に立ち寄り、薬師如来を刻して国家の安泰を祈願した。それ以降、天台宗の寺院となった。
 天永三年(1112年)に鳥羽天皇から勅額をいただき、以来「鶴林寺」と寺号を改め、勅願所に定めらた。

f:id:sogensyooku:20191207171232j:plain

仁王門

 鎌倉時代室町時代と、太子信仰の高まりと共に寺院は最盛期を迎える。寺坊30数か所、寺領2万5千石、楽人数十人が舞楽を奏していたと言われるが、信長、秀吉の時代に弾圧され、徳川幕府の厳しい宗教政策に曝され、衰微していった。

 それでも、播州には秀吉の手によって焼き払われた寺社が多い中、鶴林寺は焼かれることなく、古くからの建物や仏像が今も数多く残っている。

 特に本堂と太子堂は国宝となっている。姫路城、閑谷学校一乗寺に次いで、当ブログに登場する4つ目の国宝建造物である。

 大伽藍の正門である仁王門は、兵庫県指定文化財で、室町時代の建築である。2階が坐禅堂になっており、朱色に塗られている。

 さて、仁王門から境内に入って、まず目に飛び込んでくるのは、三重塔である。

f:id:sogensyooku:20191207172115j:plain

三重塔

 私が史跡巡りで訪れた5つ目の三重塔である。日本全国に、一体幾つの三重塔があるのだろう。数えていきたい。

 三重塔は、室町時代の建築だが、文政年間(1818~1830年)に殆ど新材で補修された。

 近年放火で一部損傷したが、昭和55年の解体復元修理で甦った。優美な姿だが、近年の補修があるため、重文指定されず、兵庫県指定文化財となっている。

 境内を時計回りに回っていく。

 貴重なお経を収めている経堂がある。

f:id:sogensyooku:20191207172848j:plain

経堂

 経堂脇の鳥居の先にあるのが、国指定重要文化財の行者堂である。

f:id:sogensyooku:20191207172949j:plain

行者堂

 行者堂は、応永十三年(1406年)の建築である。寺院最盛期の応永年間に、本堂、鐘楼と同時期に建てられた。前方が春日造り、後方が入母屋造りという珍しい様式の建物である。

 ご本尊は、神変大菩薩即ち役行者である。元々比叡山の守護神である日吉大神がここに祀られていたが、明治以降は、山岳修行によって絶大な超能力を得たという役行者が祀られ、行者堂となった。

 毎年3月23日に行者堂の前で大護摩が焚かれ、世界の平安が祈られる。

 鶴林寺ご本尊の薬師如来像は秘仏で、60年に1度しか御開帳されず、普段は拝観できない。

 延宝年間(1673~1681年)に、大坂の医師津田三碩が、薬師如来をいつでも拝めるように、本堂の分身として建立したのが新薬師堂である。

f:id:sogensyooku:20191207174048j:plain

新薬師堂

 新薬師堂に祀られる薬師如来像の制作年代は、平安時代説や江戸時代説があって、定まっていない。

f:id:sogensyooku:20191207174231j:plain

薬師如来

 薬師如来像の左右には、日光菩薩像、月光菩薩像が立ち、その左右には、十二神将像が立つ。

f:id:sogensyooku:20191207174541j:plain

薬師如来

f:id:sogensyooku:20191207174620j:plain

月光菩薩

f:id:sogensyooku:20191207174700j:plain

日光菩薩

f:id:sogensyooku:20191207174741j:plain

十二神将

f:id:sogensyooku:20191207174822j:plain

十二神将

 これらの仏像は、衣装の襞の彫刻の優美さや、表情の豊かさ、動き出しそうな力感などから、優作と言っていいと思うが、何故か文化財に指定されていない。

 余談だが、十二神将像のうち、左奥の摩虎羅大将の像が、右目を瞑っているので、かつて放映されていたテレビ番組「トリビアの泉」で、「ウィンクする仏像」として紹介された。

f:id:sogensyooku:20191207175437j:plain

f:id:sogensyooku:20191207175527j:plain

ウィンクする摩虎羅大将

 文化財に指定されていないためか、近づいて拝観でき、写真にも収めることが出来る。

 確かに、いつでも身近にこれだけの仏像を拝観できる新薬師堂はありがたい存在だ。

 鶴林寺は、播磨の法隆寺とも呼ばれている。戦火を乗り越えることが出来たのは、人々に残っていた太子への信仰心のなせる業だったのだろうか。

 いずれにしろ、鶴林寺文化財の数々が生き残ったのは、我々にとって幸運なことである。