JR勝間田駅から北東方面に行った岡山県勝田郡勝央町植月東にあるのが、植月寺山古墳である。
古墳は、観音寺という寺院の裏にある。方墳が連なる前方後方墳という珍しい形式の古墳である。
私が史跡巡りで初めて訪れた前方後方墳である。
墳長は約91メートル。美作地方では最大級の古墳である。ここからの出土遺物はないが、前方後方墳が造られ始めた3世紀後半から4世紀前半の築造と見られている。
全国的に見ても、前方後方墳は、前方後円墳と比べれば数は圧倒的に少ない。東日本には多く存在するが、西日本では出雲から美作、播磨にかけての地域に多く存在する。
播磨の伊和大神が出雲からやってきたという伝承を思い起こさせる。
実際の植月寺山古墳は、墳丘上に木が生い茂って、方形を認識することが出来ない。しかし、近づくと古墳の「くびれ」の部分は認められる。
丁度その「くびれ」のある辺りから、枝木が切り開かれ、古墳上に登る道が作られている。後方部の中央は、切り開かれてベンチが置かれている。
前方後方墳は、大和盆地にもあるので、出雲勢力独特の様式とも言えない。何か理由があって前方後円墳と使い分けられていたものなのか、知りたいものである。
そして、ここに眠る人物は、大和王権とどういう関係にあったのか、興味は尽きない。
植月寺山古墳から北東に進み、美作市梶並に行く。ここに当人祭という珍しい祭りで知られる梶並神社がある。
梶並神社の周辺の森は、様々な種類の広葉樹が茂っていて、自然度の高い社叢を形成しているそうだ。美作市指定天然記念物となっている。
参道には、樹齢350年の杉や欅が林立する。
梶並神社は、推古天皇二十一年(613年)の創建とされる。古くは近くの武男山の山頂にあり、水神を祀っていた。
天元二年(979年)に、宇佐八幡宮の分霊を祀り、梶並八幡宮となった。
現在の社殿は、安政三年(1856年)の再建である。
ここの狛犬が、鈴を抱いていた。今まで見たことのない狛犬の姿である。地方のあまり高名でない神社に行っても、様々な発見があって面白い。
拝殿は、檜皮葺入母屋造りで、正面に唐破風がある。
当人祭は、毎年10月第1土曜日に行われる。氏子から選ばれた当人が、約10日間家族を近づけず食事は自炊し、毎朝水垢離をして神社に参拝する生活をして身を浄める。
祭礼の当日になって、当人は裃、烏帽子姿になって行列を従え、梶並神社に向かう。
他の氏子たちは、参道にひれ伏して当人を迎える。当人はひれ伏した氏子たちを跨ぎながら拝殿に至る。
その後社殿で祭礼行事があり、翌日未明、水垢離を取って神事を終え、再び行列を従え神社を後にする。
一種の生き神信仰のようだが、それをいつのころからか、氏子で順番に務めるようになったのだろう。
本殿は、オーソドックスな流造である。木鼻の獏の口腔内が赤く彩色されていて、ちょっと怖い。
どんな神社にも、そこに祀られたいわれがある。受け継がれている祭礼にもいわれがある。
そうしたいわれあるものを氏子たちが受け継いでいくことが、地域の文化の中心となっている。
一神教と違って、各地域の神社ごとに特色ある祭礼が存在することが、日本の文化的な多様さを現わしている。
八百万の神々が遍満する我が国の面白さを感じる。