高砂市と加古川市の境目に聳える高御位(たかみくら)山は、標高304メートル、別名「播磨富士」と呼ばれている。
11月14日の「生石神社 覚正寺」の記事で書いたように、生石神社の御神体である「石の宝殿」の削り屑が、高御位山の山頂に捨てられたという伝承がある。
高御位山は、播州では眺めの良いことで有名な山である。一度登ってみたいと思っていた。
高御位山は、山全体が岩で出来た岩山である。
山頂には巨大な岩塊がある。昔から日本人は、巨岩がある山を霊山として崇拝してきた。高御位山も、信仰の対象となっている山である。
山の麓に、高御位神宮の社殿があった。
社殿入口には、宗教法人熊野修験道本庁、高御位神宮神祇本庁と書いた看板が下がっている。
山頂から麓まで、山全体が高御位神宮の境内であるそうだ。熊野修験道とあるように、修験道の社殿であるようだ。
修験行者たちにとって、高御位山は霊峰なのだろう。
ややこしい話だが、高御位山の山頂には、「高御位神社」の社殿が建っている。おそらく江戸時代までは、高御位神宮と高御位神社は一体だったろうと思われるが、明治時代の修験禁止令によって、神道としての高御位神社が独立して生き残り、戦後に修験道が復興した時に、高御位神宮が別の宗教法人として立ち上がったのではないか。
高御位山は、山頂まで整備された登山道が続き、非常に登り易い。年配の登山客も多く、手軽に登ることが出来る霊峰である。
山頂に近づくと、大きな岩塊が見えてきた。
山頂には、高御位神社の本殿が建っている。
高御位神社は、欽明天皇十年(549年)の創建と伝えられる。
天津神の命により、国造りのためにこの山に降り立った大己貴命と少彦名命の二柱の神の業を偲んで、高御位大神として祀っている。
山全体を御神体とし、往古から庶民の崇拝を受けてきたという。
高御位神社の南側の巨岩は、石の宝殿の伝承のとおり、確かに岩石の屑が折り重なっているように見える。
この巨岩は、それ自体が御神体である磐座である筈だが、登山客が笑顔で上に登ってくつろいでいる。この磐座が丁度山頂に当たり、ここからの眺望が非常に良いからである。
磐座から南東方面を眺めれば、播磨平野と明石海峡の向こうに淡路島が眺められる。
高御位山の周辺には、この山より高い山がなく、また頂上付近は岩肌がむき出しになっていて、眺望を妨げる森林がないことが、この眺めの良さを作り出している。
南西方面を見ると、彼方に小豆島が眺められる。淡路島から小豆島までの空間が一望の下である。
山頂には、大正10年に高御位山からグライダーの関西初飛行を成し遂げた渡辺信二を称える「飛翔の碑」がある。
山頂から少し南西に行くと、「天乃御柱壇」が建っている。
天乃御柱壇は、高御位神宮が建てたもののようだ。高御位神宮の主神は、「古事記」の最初に出てくる神である天之御中主神である。
高御位山は、抜群の眺めの良さと、登り易さで、播州の人士に愛されている。私も登ってとても清々しい気分になった。
元旦には、初日の出をこの山頂で迎える人々で賑わうそうだ。
この名山の山頂に立って、私も史跡巡りへの決意を新たにした。