道仙寺 前編

 岡山県最高峰の後山は、標高1345メートルである。

 その麓にある行者山道仙寺は、真言宗の寺院である。本堂は岡山県美作市後山にある。

 この辺りは昔、東粟倉村と呼ばれていた。標高が高く、空気の澄んだ山間の高原のような地域で、私が訪れた時はまだ11月上旬だったが、既に肌寒く、村落を囲む山々の紅葉が進んでいた。

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道仙寺本堂

 道仙寺は、役行者役小角)が開山したと伝えられる。役行者は、飛鳥白鳳時代を生きた人物で、修験道の開祖とされる。

 修験道は、磐座などを信仰する古神道と、古くからの山岳信仰や仏教、密教が融合した日本独特の信仰形態で、日本各地の霊山と呼ばれる深山幽谷を跋渉しながら、修行を重ねて悟りを得、身に付いた験力を使って衆生を救うことを目的としている。

 修験道の修行者は、修験者又は山伏と呼ばれる。

 明治元年神仏分離令と明治5年の修験禁止令により、修験道は国家により強制的に禁止された。

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向拝の龍の彫刻

 修験道を禁止された修験行者は、真言宗天台宗の寺院のどちらかに所属することになる。道仙寺は真言宗に属することとなった。

 戦後、信教の自由が許されるようになり、修験道は復興することになる。

 後山は、修験道の霊山の一つである。道仙寺は、後山で修行する修験者達が建てた寺院だろう。驚くべきことに、道仙寺の奥の院は、未だに女人禁制を守っている。

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本堂内陣

 本堂内陣の奥には、修験道でよく信仰される不動明王が祀られていた。

 境内の中は、しんとしている。ひときわ高く聳える銀杏の木が美しい。

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境内の銀杏の木

 道仙寺を役行者が開山したというのは、伝説の領域の話で、建長年間(1249~1256年)に徹雲法印により開かれたとも伝えられる。

 本堂から東にしばらく行くと、奥の院への入口の傍に、別名女人堂と呼ばれる護摩堂がある。

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護摩

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 後山の山上にある道仙寺奥の院は、1300年前から女人禁制が続いている。山に入れない女性は、この女人堂で参拝を済ませたようだ。

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護摩堂本堂

 毎年9月7,8日には、この護摩堂と奥の院に修験行者たちが集まって、大護摩法要が行われる。

 私は最近、日本独特の信仰である修験道に興味が湧いてきた。大護摩法要を一度見てみたいものだ。

 護摩堂内陣には、立派な不動明王木像が祀られている。

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護摩堂内陣

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不動明王木像

 不動明王木像は、煩悩を破砕する憤怒の形相をしている。この力強さには、不思議と優しさを感じる。

 境内には、毎年の大護摩法要を見守る不動明王の石像がある。

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不動明王石像

 さて、護摩堂から車で進むと、奥の院の参道入口の駐車場に至る。ここから急こう配の参道を歩いて登ることになる。

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奥の院への参道

 参道も最初はまだ広い整備された道である。彼方を見上げれば、紅葉する後山が眺められる。

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後山を望む

 奥の院は、あの山頂の少し下にある。標高千メートルはあるだろう。覚悟を決めて歩き始める。本格的な山道に入る前に、大日如来の石像があった。ここを過ぎれば、静寂に包まれ、霊山に入ったことを実感する。

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大日如来坐像

 道はたちまち細くなる。人一人がようやく通れる道で、片側は急斜面である。

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奥の院に向かう

 途中岩石とその間を奔る清流が現れ、太古からの霊山の景色を見る思いがする。

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 更に進むと、母御堂がある。ここにも不動明王が祀られている。

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母御堂

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 仏像の前に、神前によくある紙垂(しで)が垂れている。神仏習合の姿の極北である修験道らしい。

 母御堂から先は、いよいよ女人禁制の結界の向こう側である。

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女人禁制の鳥居

 母御堂の先に、「是より上女人禁制」と書かれた看板が付された鳥居のようなものが建つ。

 現代に女人禁制を守っている霊山は、日本全国でも奈良の大峰山とここ後山だけらしい。

 ちなみに、別ルートである後山山頂への登山道は、女性でも登ることができる。あくまで奥の院までの参道が女人禁制なのである。

 私は、「俺は男だ」と呟きながら鳥居の下を潜った。その先は、岩石がどこまでも転がる足場の悪い道が続く。

 苦難の登山となった。しかし、この後私は、驚くべき光景を目にすることになる。