須磨離宮公園

 神戸市須磨区東須磨1丁目にある須磨離宮公園は、かつて皇室の別荘の武庫離宮があった場所である。

 この高台は、在原行平が月を愛でた月見山があった場所とされている。近代になって、そこに浄土真宗法主にして探検家の大谷光瑞の別荘が建てられた。

 大谷の別荘地は、明治天皇神戸港沖での観艦式観覧のため、明治40年に国に買い上げられた。離宮の建設工事が始まり、大正3年に離宮が完成した。

 昭和20年の空襲により、武庫離宮は焼失した。戦後の一時期、米軍が射撃場として接収したが、皇太子殿下(今の上皇陛下)御成婚記念として公園が整備され、昭和42年に須磨離宮公園として開園した。

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須磨離宮公園正門

 空襲で焼失したため、武庫離宮当時の建物は殆ど残っていないが、現在の公園の正門は、武庫離宮当時のままである。門の左右の亀甲型の石組に特徴がある。

 この門から、馬車にお乗りになった皇族が出入りされた。

 公園は広大で、四季折々の草花が咲き誇っている。

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須磨離宮公園案内図

 私が訪れた時は、薔薇が数多く咲いていた。

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園内の薔薇

 正門を入ると、広い馬車道が真っすぐ続き、途中で道がカーブして中門に至る。

 中門の前には、1対の獅子の石像がある。

 中門は、武庫離宮の当時から残る唯一の屋根付き建築物である。

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中門

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 中門の前に、円形の突起があるが、馬車がここで皇族を降ろした後にUターンするために設置された目印であろう。

 大正天皇昭和天皇も、ここで馬車からお降りになり、歩かれたことだろう。

 園内には、武庫離宮造営時に植栽されたという印度杉がある。

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印度杉

 空襲でも焼けなかった印度杉だが、平成29年の台風で、幹が半ばから折れてしまったらしい。

 さて、私が訪れた当日は、園内で子供たちのダンスのイベントが開かれていて、それを見学に来た家族たちで賑わっていた。

 庭園の中心は、噴水が並んだシンメトリカルな噴水広場で、噴水の周囲には薔薇が植えられている。

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噴水広場

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大噴水

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園内の薔薇

 まるでヨーロッパの王宮の庭園のような、左右対称の整然とした庭園である。

 噴水広場の奥にある建物はレストハウスである。

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レストハウス

 南側が全面ガラス張りの、モダンな建物である。レストハウスの前には、ポセイドンの像が建つ。

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ぺポセイドンの像

 このポセイドンの像は、昭和45年の大阪万国博覧会の機会に、ギリシア政府から神戸市に寄贈されたもので、原像は1926年にギリシアの海底から発見されたポセイドン像である。

 古代ギリシア人が、あんな昔にこんなリアリズムを追求していたことに驚くばかりだ。

 レストハウスのある場所から振り返ると、シンメトリカルな噴水公園を眺めることが出来る。

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噴水公園

 園の南側には、在原行平が月見をしたという場所がある。

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在原行平月見の松跡

 昔ここに三幹の老松があって、行平がその松の近くで月見をしたという伝説がある。今はその場所に石碑が建っている。

 武庫離宮造営時、行平月見の松の近くに四阿屋が建てられた。

 立ち木に似せた青銅鋳物の支柱の上に、竹で葺いた六角形の屋根を載せ、傘亭と呼ばれた。

 空襲で屋根は焼けてしまったが、支柱は残っていた。現在は支柱を生かして平成23年に復元された傘亭が建っている。

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復元された傘亭

 傘亭のあたりから南を眺めると、遠く淡路島を望むことが出来る。

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傘亭からの眺望

 今はマンションなどの建物が視界に入るが、行平がいた頃は、陸地は砂浜しかなかったことだろう。

 傘亭の近くには、武庫離宮造営時に、希少な鞍馬産の自然石で造られた石灯篭がある。

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鞍馬産自然石灯籠

 京都の鞍馬で採取される本鞍馬石は、なかなか希少で、庭園に本鞍馬石を置くことはそう簡単にできないらしい。贅沢な灯籠だ。

 須磨離宮公園には本園と植物園があるが、植物園には煉瓦造りの隧道を通って行くことが出来る。

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隧道

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 この隧道は、武庫離宮完成時からあるものである。いかにも明治のトンネルらしい。

 植物園には、アジサイ園や牡丹園があるが、私が訪れたのは10月で、いずれも咲いていなかった。

 10月に花が開く、バラ科ジュウガツザクラという桜に似た花が咲いていた。

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十月桜

 植物園の中央には、南方の植物を観賞するための観賞温室がある。

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観賞温室

 中はさほど暖かくないが、熱帯の植物が繁茂している。

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熱帯の植物

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フォックスフェイスの実

 丁度フォックスフェイスの実がなっていた。

 観賞温室を出て、近くの日本家屋と日本庭園を散策した。

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日本家屋

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日本庭園

 こういう縁側のある日本家屋から、よく手入れが行き届いた日本庭園を眺めるのは、とても贅沢なことだと思う。

 須磨離宮公園は、皇室ゆかりの地に造られた公園だけあって、威ある美しさを誇る公園だ。

 日本には、雅(みやび)という言葉があるが、これは「都(みやこ)びている」から来た言葉である。都会風の洗練された美しさという意味だろう。

 ところで、都(みやこ)とは、宮処つまり宮殿(皇居)がある場所という意味で、天皇がいる場所が都となる。

 天皇に近づけば近づくほど雅に近づくというわけだ。ではなぜ天皇が優雅の中心になるかと言うと、天皇天照大神の子孫という伝説があるからだろう。とどのつまりは、雅は日本の神々の聖性から発しているわけだ。

 民衆が、天皇とその周辺の宮廷生活の優雅に憧れて、新しい文化を創造することを、三島由紀夫は「文化防衛論」の中で「みやびのまねび」と呼んだ。

 この須磨離宮公園も、「みやびのまねび」が生んだものの一つだろう。

 天皇は、日本国憲法で日本国及び日本国民統合の象徴とされているが、政治的には無力な優雅さが国家の中核にある日本という国は、面白い国である。