美作国久米郡の幾つかの寺院には、鎌倉時代から護法祭という奇祭が受け継がれている。
今回は、護法祭を現在も行っている寺院を2つ紹介する。護法祭は、岡山県無形民俗文化財となっている。
その祭りは、毎年8月13~15日の深夜に行われる。
護法善神という山の神様が、山伏の「祈り憑け」という儀式を通じて、その年に村から選ばれた護法実(ゴーサマと云う)に憑依する。
ゴーサマは、祭りの日まで一週間、寺に籠って精進潔斎し、修行するという。
護法善神に憑依された護法実は、寺院の周りを烏が羽搏くように飛び回り、境内の石垣にも飛び上がる。これをゴーサマの「お遊び」という。
ゴーサマの周囲には警護の少年たちが付くが、もしゴーサマの行く手をふざけて邪魔でもしたら、その者は3年以内に死ぬと言われている。
ゴーサマは、祭りが終ると憑依を解いてもらうが、「お遊び」で走り回っても汗一つかかず、祭り後は「お遊び」の間の記憶がなくなっているという。
今この護法祭を行っているのは、久米郡久米南町北庄の宮本山両仙寺、久米南町上籾の龍光山清水寺と、久米郡美咲町の二上山両山寺だけである。
事前に「岡山県の歴史散歩」に記載のある宮本山両仙寺を、ネットや地図で調べたが、いくら探しても出てこない。
あるネットのページに、宮本山両仙寺の護法祭は、今は北庄にある北庄川東集会所で行われていると書いてあったため、訪れてみた。
誕生寺を出発し、棚田の重なる山中の農村地帯の細い道を上って行くと、集会所があった。
何の変哲もない集会所である。この集会所の中に仏像でも祀っているのだろうか。
集会所から棚田の間の道を通って、次なる目的地の久米南町上籾の龍光山清水寺(せいすいじ)に行く。
清水寺は真言宗の寺院である。護法祭が行われている3つの寺院は、どれも真言宗の寺院である。
先代の鐘楼門は、文化五年(1808年)に建てられたものだが、老朽化が進み、平成3年に再建された。
鐘楼門を潜り、左手を見ると、修行大師像が出迎えてくれる。
四国八十八ヵ所を巡るお遍路さんは、「南無大師遍照金剛 同行二人」と書いた金剛杖を持って遍路をするが、金剛杖は弘法大師の分身とされている。同行二人とは、お遍路中は、弘法大師が常に見守ってくれているという意味である。
どの真言宗寺院に行っても必ずある修行大師像を見ると、弘法大師がどこにいても見守ってくれている気がしてくる。
清水寺を訪れた時は、境内に私しかおらず、護法祭の時の熱狂とは程遠い静かさだった。
清水寺の御本尊は、如意輪観世音菩薩像である。
御本尊をお祀りする本堂の脇に、地元出身の政近助七郎が満州奉天に在住中の昭和16年に、現地の知人から拝受した観世音菩薩石像が祀られていた。
こういう石仏は、日本にはないタイプのものだ。
さて、清水寺を後にして、上籾の道を行くと、棚田を見下ろすことが出来るビューポイントがあった。
北庄と上籾の棚田は、日本の棚田百選に選ばれているそうだ。
百選に選ばれるだけあって、見事な棚田だ。
護法祭は、このような山中の、棚田の中に民家が点在する地域で、鎌倉時代から受け継がれているのだ。
棚田のある山中から平地に下りて、JR津山線の弓削駅を訪れた。
JR津山線は、岡山駅から津山駅までを結ぶ路線だが、開通は明治31年である。
弓削駅は、開通時に設置された駅で、岡山県下で最古の駅舎である。
中国山地は、神楽が盛んな地域であるが、護法祭のような不思議な祭りも伝承されている。都市化されていないのが幸いしているのかも知れない。
日本の神々は、やはり日本の静かな山中に、今もひっそりと棲んでおられるようだ。