岩間山本山寺 後編

 本山寺本堂は、観応五年(1350年)の再建とされ、桁行五間、梁間五間、一重の寄棟造で檜皮葺の屋根を持つ。

 国指定重要文化財である。

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本堂

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 端が反り返った屋根が、翼を広げたようで美しい。柱は総丸柱で、直径は約49.8センチメートルあり、岡山県内の江戸時代までの建物の中では、最大の太さであるそうだ。

 ここに祀られる御本尊は観世音菩薩像である。

 本堂の近くには、古びた鐘楼がある。

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鐘楼

 本堂と三重塔の間には、永正十六年(1519年)に建てられた常行堂がある。

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常行堂

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常行堂

 常行堂は、阿弥陀如来像をお祀りしており、僧侶が南無阿弥陀仏の念仏をひたすら唱えながら、像の周囲を歩く行をするための道場である。

 この常行堂は、本山寺が48坊あった頃の修行道場の生き残りらしい。岡山県指定文化財となっている。

 常行堂の奥に行くと、国指定重要文化財の三重塔が聳えている。

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三重塔

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 私が史跡巡りで訪れた、18番目の三重塔だ。

 この三重塔は、承応元年(1652年)に霊廟とともに建てられたもので、初層は16尺(約4.85メートル)四方の平面を持ち、岡山県内最大規模である。

 塔の総高は約26.5メートルで、3つの屋根が、上階に行くにしたがって僅かに逓減しており、安定した姿を見せている。

 三重塔の奥には、建武二年(1335年)6月11日の銘のある宝篋印塔が建っている。この宝篋印塔も国指定重要文化財である。

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石造宝篋印塔

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基礎の建武二年六月十一日の銘

 下から反花座(かえりばなざ)、基礎、塔身、笠、相輪の順に重ねられているが、各部が造られた当時のまま完存している。

 基礎の四面には蓮弁格狭間を刻み、塔身には舟形の中に阿弥陀如来を彫っている。

 基礎に、建武二年の銘が彫られているのも確認できる。笠の四隅の馬耳状突起もほぼ垂直に立ち、相輪も太く、鎌倉時代の様式を伝えている。

 宝篋印塔の奥には、岡山県指定文化財の石造六角型舎利塔がある。

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石造六角型舎利塔

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 塔身には、「大願主覚清 康永三年(1334年)六月十八日 仏阿」と刻まれている。

 康永三年は、先ほどの宝篋印塔に刻まれた建武二年の前年だが、康永は北朝の年号で、建武南朝の年号である。

 南北両朝の年号を刻んだ石造物が、同じ寺の境内にあるのは不思議だ。

 宝篋印塔にも、六角型仏舎利塔にも、「大願主覚清」と刻まれている。同じ人物が奉納したものと思われるが、1年違いでなぜ北朝南朝の年号を使い分けているのか、興味を覚えるところだ。

 本山寺には、その他にも、岡山県内最古の曼荼羅図である「絹本着色両界曼荼羅図」二幅などの寺宝がある。

 さて、本山寺の奥には、標高479.6メートルの金刀比羅山がある。この山頂に、本山寺奥の院の金光殿と蔵王堂があるという。

 しかし、私が訪れたのは、松茸狩りのシーズンで、入山禁止になっていた。

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入山禁止の札

 奥の院に行くのは諦めた。

 本山寺は、数多くの文化財を有する古刹である。改めて写真を見ると、本堂も三重塔も石造宝篋印塔も素晴らしい。

 特に南北朝期の木造建築である本堂が残っているのは、幸運なことであった。

 石造の建造物が多いヨーロッパや中国と異なり、日本は木造建築の文化を持つ国である。

 世界で日本ほど、古い木造建築を多く有する国はないのではないか。