綱敷天満宮

 村上帝社から国道2号線を東に進み、神戸市須磨区神町2丁目に入る。2号線北側に鎮座するのが、菅原道真公を祭神とする綱敷(つなしき)天満宮である。

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綱敷天満宮鳥居

 菅原道真公が藤原時平の讒言により失脚し、大宰府に船で向かう途中、須磨沖に差し掛かった。

 風波が高く、航海が困難になったため、道真公は須磨に上陸した。

 地元の漁師は、松の木陰に漁網の綱を丸めて円座として、そこに道真公を座らせて歓待したという。

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この松の木陰で道真公が休憩したと伝えられる。

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綱敷の円座像

 綱敷天満宮の境内には、道真公が休憩した松と伝えられる「影向(ようごう)の松」の幹が保存されている。

 おそらく、道真公が生きていた時代の松ではなく、その何代か後の松だろう。

 また、地元漁民が道真公を迎えた円座を象った像が祀られている。

 当ブログ令和元年7月20日の「飾磨の天満宮」で紹介したように、姫路市飾磨区構の津田天満神社も、別名綱敷天満宮と称し、漁師が綱を渦巻き状に敷いて道真公を座らせたという、須磨の綱敷天満宮と全く同じ伝説を伝えている。

 道真公没後から76年経った天元二年(979年)に、地元の漁民が道真像を祀ったのが、綱敷天満宮の起こりである。

 鳥居の前には、神戸市須磨区出身の詩人竹中郁の「綱敷天満宮奉賛歌」の詩碑がある。

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竹中郁の詩碑

 竹中郁は、昭和モダニズムを代表する詩人だが、地元の綱敷天満宮を愛していたことだろう。

 拝殿の前には、道真公の幼い時の銅像と、道真公の母子像が並び立っている。

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幼い菅公像

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菅公母子像

 母子像の下には、道真公の母君が歌ったとされる、「ひさかたの 月の桂も 折るばかり 家の風をも 吹かせてしがな」という歌が刻まれている。

 この歌はいつ読んでも凄まじい歌だなと思う。遠い月に生える桂の木を折るぐらいの我が家の風を吹かせたいという、息子の立身出世を願う母君の気持ちの過大さが表れている。

 いくら何でも、息子に期待を掛け過ぎているのではないかと思ってしまう。それとも他意があるのだろうか。

 自身を失脚させた藤原家と朝廷にあれだけの祟りを与えたとされる道真公も、おそらく強い出世欲を持っていたことだろう。

 人間の上昇志向は、世を進歩させる力の源泉でもあるので、一概に悪いとは言えない。

 境内には、ご鎮座1000年を記念して、昭和54年に建てられた塔がある。

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鎮座1000年の記念の塔

 形は三重塔を模しているが、中に人が入る構造にはなっていない。当ブログでは、今まで訪れた三重塔を数えて来たが、この塔は人が内部に入る構造になっていないのでカウントしない。

 拝殿と本殿は、新しいものである。柱や桁の朱色が鮮やかだ。

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拝殿

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拝殿前の狛犬

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本殿

 ところで天満宮と言えば牛である。道真公は、丑年に生まれ、丑年に亡くなったとされる。

 道真公は、普段から牛を可愛がっていた。道真公が没した時は、公の棺を曳く牛が悲しんで涙を流し、動かなくなったと伝えられている。

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集った子牛たちの像

 また、道真公と言えば梅である。境内の東側には、梅が植えられている。

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境内東側の梅林

 梅林の中央にある石碑は、吟道摂楠流を創始した吟道家藤原摂楠の記念碑である。

 道真公は、大宰府で、「東風(こち)吹かば 匂ひおこせよ 梅の花 主なしとて 春を忘るな」という歌を歌った。

 京の自邸の庭に咲く梅に、遠い大宰府まで匂いを届けてほしいと願う歌だ。

 道真公は、日本の歴史を代表する大怨霊となった人だが、それだけ自己の地位と名誉に執念を燃やしていた人だったのだろう。

 日本人は復讐を果たす物語が好きだが、才能ある人が讒言によって転落し、失意の死を遂げた後、怨霊となって国に復讐し、最後は神として祀られたという道真公の物語に、自分の胸の内にある鬱屈したものが晴れる思いがするのだろう。

 今は学問の神様として人々の願いを受ける道真公こと天神様は、人間臭くて優しい神様だ。