勝福寺 板宿八幡神社

 神戸市須磨区大手町9丁目の、高尾山の麓に建つのが真言宗の寺院、勝福寺である。

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勝福寺への石段

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山門

 永延二年(988年)、太政大臣藤原伊尹(これただ)の三男英雄丸が、勅命により証楽上人と名を改め、高取山に庵を結び、鹿松峠に出没していた鬼を仏教の力で退治した。

 その後上人がこの地に開いたのが、勝福寺であると言われている。ご本尊は、弘法大師が彫ったとされる聖観音菩薩像である。

 開山時には、36坊もの七堂伽藍があったというが、長徳二年(996年)に発生した山津波により、伽藍の大半が失われた。

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本堂

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毘沙門堂

 平清盛が、兵庫港に経ヶ島を築いた時、勝福寺の信徒が大いに協力したため、お礼に金銅製の密教法具の火舎、花瓶、六器が奉納された。これらの法具は、国指定重要文化財となっている。

 また築島供養式の際の幡や、平知章の甲冑も所有しているという。

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庫裏

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庫裏の玄関

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梵鐘

 この寺が更に荒廃したのは、足利尊氏と尊氏の弟・直義(ただよし)が争った、観応の擾乱の際である。

 御影の浜の戦いで直義に敗れた尊氏は、勝福寺の裏山にあった松岡城に撤退した。尊氏の手兵も四散し、残りは500名ほどになった。尊氏は自決を覚悟したという。

 勝福寺の南側にある歴代住職の墓のある場所は、尊氏が切腹しようとした場所だとされている。腹切り堂と呼ばれているそうだ。

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腹切り堂と呼ばれる、歴代住職の墓域

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 結局尊氏と直義の間に和議が成立し、尊氏は自決を免れた。

 勝福寺は、尊氏が松岡城に立て籠もって直義軍に包囲された時に炎上したと伝えられている。

 その後寺は復興したが、昭和13年の山津波で、鐘楼や毘沙門堂が倒壊したそうだ。

 思うに、何度も倒壊したり炎上したりしたお寺を復興させる原動力は、やはりご本尊の仏像にあると思われる。大事な仏像を安置する場所を作らないといけないという気持ちが、お寺を復興させるのだろう。

 さて、勝福寺から東に行った神戸市須磨区板宿3丁目の高台にあるのが、板宿八幡神社である。

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板宿八幡神社

 板宿は、山陽電鉄神戸市営地下鉄が交差する場所で、神戸の下町の繁華街といった土地である。

 昌泰四年(901年)、菅原道真大宰府に流される途中、この地に立ち寄ったところ、住民が粗末ながら板で囲った宿を提供した。それからこの辺りは、板宿と呼ばれるようになったという。

 この地で道真は、「梅は飛び 桜は枯るる 世の中に 何とて松の つれなかるらむ」と詠った。

 自分が家を出て大宰府に向かうと、自宅の庭の梅は匂いをよこしてくれて、桜は悲しんで枯れたが、松だけはなぜかつれない態度を取っている、という歌である。

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飛松天神社

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飛松天神社の牛の置物

 道真の歌を聞いた道真邸の松は、この地まで飛んできたという。この松を飛松(とびまつ)といい、神社周辺の地名として今も飛松の名が残っている。

 飛松は高さ30メートルはあり、航海の目印にもなっていたが、枯れてしまい、今は切り株だけが残っている。

 この切り株を祀っているのが、板宿八幡神社の境内にある飛松天神社である。社の中に、飛松の切り株が鎮座している。

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飛松の切り株

 永延元年(987年)に、八幡大神応神天皇)と菅原道真を祭神として板宿八幡神社が創建された。

 明治41年には、現在の明神町1丁目辺りにあった池之宮明神(大日孁貴、おおひるめのむち即ち天照大神)が合祀された。

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拝殿

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本殿

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 板宿八幡神社は、高尾山の中腹にある神社で、境内から南を望めば、須磨から長田に至る神戸の下町と海を一望できる。

 かつて海からもよく見える丈高い松がここに生えていて、人々が菅公の庭から飛んできた松と信じて拝んでいたと思うと、心温まる思いがする。