誕生寺 その1

 片山潜記念館から西に行き、南北に通るJR津山線を越え、岡山県久米郡久米南町里方の栃社山誕生寺に至った。

 ここは、浄土宗の開祖法然上人が誕生した地とされている。法然上人二十五霊場第一番で、浄土宗特別寺院である。

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山門

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 まず出迎えてくれるのは、大きな山門である。正徳六年(1716年)に建築されたもので、国指定重要文化財となっている。

 法然上人の実父は、久米郡稲岡庄の押領使漆間時国で、実母は秦氏である。

 今この誕生寺の建つ場所は、かつて漆間時国の屋敷があった場所で、法然上人はここで生まれた。幼名を勢至丸(せいしまる)という。

 保延七年(1141年)、勢至丸9歳の時、土地争いが原因で、預所・明石貞明が時国に夜襲をかけ、時国を殺害する。

 時国は死に際して、勢至丸に対し、仇討はせずに出家するよう諭したという。

 勢至丸は、岡山県勝田郡奈義町高円にある菩提寺に行き、そこで住職をしていた叔父の勧覚上人を頼って修行を始めた。

 この菩提寺は、昨年12月29日の当ブログ「奈義町 菩提寺」の記事で紹介した。

 勢至丸は、菩提寺で9歳から13歳までを過ごしたという。勧覚上人は、勢至丸の才覚に気づき、当時の仏教の最高学府であった比叡山に行く事を勧めた。

 勢至丸は菩提寺に生えていた公孫樹の根を杖にして、自分の生家に戻り、15歳の時に比叡山に向けて旅立つ。菩提寺の公孫樹は現存し、国指定天然記念物となっている。

 出発に際して生家の地面に刺した公孫樹の根が成長し、誕生寺七不思議の一つ、「逆木の公孫樹」になったという。

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逆木の公孫樹

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 この公孫樹は、根が逆さに伸びて成長したものと言われ、幹や枝になっているのは本来根であるという。

 私が訪れた時は、丁度公孫樹の葉が緑から黄に移り変わる頃で、とても美しかった。見るからに生命力のある公孫樹の幹や枝を見るのが好きだ。

 境内には、もう1本丈高い公孫樹があり、その近くに勢至丸が比叡山に向けて旅立つ場面を銅像にしたものがある。

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境内の公孫樹

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勢至丸旅立ちの像

 境内の北側には、誕生寺の守護神毘沙門天尊を祀る毘沙門堂がある。

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毘沙門堂

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毘沙門天

 この毘沙門天尊は、永禄十二年(1569年)に、誕生寺七世光天上人が、御影堂(本堂)を再建した時、大和信貴山から守護神として勧請したものとされている。
 寛政年間(1789~1801年)、盗賊がこの毘沙門天尊を盗み出し、売却した。毘沙門天尊を入手したのは、浪速津の商人であったが、それ以降、この商人の夜毎の夢に毘沙門天尊が現れ、「早く我を作州栃社山に奉還されよ」と霊告したという。驚いた商人は、毘沙門天尊を誕生寺に戻した。
 その後この商人は大福徳に恵まれ、御礼参りの際に誕生寺に多額の寄付をしたという。それ以来、誕生寺の毘沙門天尊は、福徳の神として尊崇されている。
 荘厳な甲冑を身にまとい、三戟を持った威厳ある毘沙門天尊だ。

 毘沙門堂の隣には、新しい建物の瑞応殿がある。

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瑞応殿

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蟇股の天女の彫刻

 瑞応殿には、金色に輝く阿弥陀如来坐像が祀られている。

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瑞応殿の阿弥陀如来坐像

 勢至丸は、比叡山に登ってから、高僧の下で修行や学問に励むが、抜群の才覚と高い信仰心から、比叡山の高僧たちの絶賛を受け、18歳で法然源空の名を授けられたという。

 法然は、阿弥陀如来誓願を信じて南無阿弥陀仏を唱える専修念仏の道に進み、浄土宗を開いた。

 阿弥陀如来坐像は、非常な輝きを放っているが、専修念仏の果てに見える浄土の美しさを象徴しているのだろう。 

 12世紀が生んだ偉大な宗教家・法然上人ゆかりのこの寺を、じっくり紹介したい。