亜細亜万神殿の参拝路を挟んだ向かい側には、塔頭の正覚院がある。
正覚院には、愛染明王像が祀られていて、その前で僧侶がお経を唱えていた。
愛染明王は、憤怒の形相をしているが、これは悟りの心から遠ざかる人々を叱咤激励するために大日如来が怒りを発した姿とされている。この怒りの表情は、人々を教え導く優しさの現れと言われている。
ところで私事になるが、今年5月に父が死んでから、祖母の形見で父が受け継いだ小さな仏壇が私の家に来ることになった。その仏壇に位牌を置いているわけではない。言うなれば空の仏壇である。しかし、仏壇の奥に、大日如来と不動明王と弘法大師の掛け軸が下がっている。
仏壇をそのまま何もせず置いておくわけにもいかないので、花と水を供え、真言宗の在家用の経本を買って来て、仏壇の前で毎晩お経と真言を唱えるようになった。
僧侶が唱えるお経も、私が普段唱えているものと同じものだった。今まで遠い世界と思っていたお寺が、お経を普段唱え始めたことによって、身近に感じられるようになった。
正覚院を過ぎて、鮮やかな朱色の欄干の龍華橋を渡る。
龍華橋を越えると、仁王門がある。そこからは、須磨寺の境内である。
仁王門を潜って右手に行くと、阪神淡路大震災物故者追悼碑がある。
阪神淡路大震災では、約6500人の命が失われ、約40万棟の家屋が倒壊、焼失した。平成9年10月に全日本仏教徒会議が開かれた際、追悼碑の建立が発議され、須磨寺が用地の提供を申し出た。
追悼碑の横には、千手観世音菩薩立像が立っている。
よく見ると、千手観世音菩薩立像の背後の壁には、一面に石仏が彫られている。
追悼碑の隣には、屋根に覆われた弘法岩という岩がある。岩上には密教法具の一つ、五鈷杵が置かれていて、岩の周囲からは水が出ており、五鈷水と称されている。
この弘法岩、古そうに見えるが、祀られるようになったのは、震災追悼碑が建つのと同時だそうだ。
仁王門を入って左側には、塔頭の一つ桜寿院がある。
桜寿院は、阿弥陀如来像をご本尊として祀っている。向拝の彫刻がなかなか見事であった。
桜寿院前には、与謝蕪村の句碑が建っている。
「笛の音に 波もよりくる 須磨の秋」という句だ。この句の笛は、笛を愛用した平敦盛を連想させる。
蕪村も須磨を訪れ、在原行平や「源氏物語」や「平家物語」を偲びながら、この句を作ったのだろう。
蓮生院の前には、11月8日の「敦盛塚」で紹介した、須磨一の谷の合戦での平敦盛と熊谷直実のエピソードを再現した「源平の庭」がある。
乗馬したまま海中に入ろうとする敦盛に声をかけ、いざ戦おうとする直実の姿と振り返った敦盛の姿が、銅像で再現されている。
なかなか迫力ある銅像だ。
敦盛と直実のこの場面は、源平合戦というより、日本史の中の名場面の一つだろう。
潔い勇武の心と風流心と、無常感が溶け合った、日本人の精神世界を垣間見せてくれる場面だ。
この二人も、相まみえた瞬間、自分たちの一騎打ちが後世の日本人に強い印象を与えることになるとは思わなかっただろう。
敦盛の若さと潔さが、後世の人の心を打ったのだろう。
自分が及びもつかない勇敢さや潔さを示した行動が、人々の感動を呼ぶものと思われる。