萬祥山龍徳寺

 若桜鬼ヶ城から下りて、麓にある萬祥山龍徳寺を訪れる。

 ここは曹洞宗の寺院で、関ヶ原戦後に若桜城主となった山崎家盛の菩提寺である。

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萬祥山龍徳寺

 寺伝によれば、初世の和尚が、現鳥取県八頭郡八頭町用呂の千石岩の下に庵を結んだのが寺の発祥であるという。

 その後、三世祖山宗印和尚が高野村寺谷に寺院を移し、石頭院と称した。

 五世観宗秀音和尚が、慶長七年(1602年)に城主山崎家盛の帰依を受け、山崎家の菩提寺として現在地に寺を移した。

 寺は、文久元年(1861年)に火災に遭ったが、その後建物を再建した。そのため、現存の建物はそう古くない。

 この寺を訪れて、一際目を惹いたのは、山門である。黄色い木材で建てられ、細密な彫刻を施されている。私は木材については素人だが、柘植で造られているのではないかと思った。

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山門

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 山門は、上部に梵鐘が下がっている。門扉も城門のような作りだ。

 小さな門だが、非常に精緻に造られていると感じた。よく出来た木造建築は美しい。

 本堂には、ご本尊の釈迦如来像を祀っている。

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本堂

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 本堂も山門も、瓦は茶色の石州瓦である。確かに耐久性はありそうだ。若桜町のどの寺院に行っても、石州瓦は崩れたり割れたりしていない。

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庫裏

 龍徳寺の裏の墓地には、一際目立つ大銀杏が生えている。

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大銀杏

 この大銀杏の根元近くに、五輪塔が建っている。

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五輪塔

 この五輪塔の下には、山崎家盛の遺髪が埋められていると言われている。

 山崎家盛は、近江の地頭山崎氏の出で、父堅家は、信長、秀吉に仕え、摂津三田城主となった。

 跡を継いだ家盛は、文禄の役で活躍した。家康の会津征伐に乗じて石田三成が挙兵した時は、家康に三成の挙兵を知らせた。

 関ヶ原戦後はその功により、若桜鬼ヶ城の城主となった。

 家盛は、父の堅家の法名である龍徳院法性覚玄大居士に因んで、この寺を龍徳寺と名付けたという。

 家盛の子の家治は、父の遺髪を埋めた場所に五輪塔を建て、目印としてその傍に銀杏を植えたという。

 先日紹介した若桜鬼ヶ城の石垣を築いたのは、家盛だとされている。山崎家が若桜を治めた年月は短いが、この町に確かな足跡を残している。