神戸市垂水区名谷にある真言宗の寺院、龍崋山転法輪寺は、大同元年(806年)の創建とされている。
在原行平が、霊夢の中で、無量寿仏(阿弥陀如来)を明石郡垂水郷の釈迦転法輪の法窟に安置せよ、と告げられたことにより、寺が造られたという。
転法輪寺は当初大同寺と称していたが、延喜十年(910年)の堂宇再建に際し、転法輪寺と改称した。
創建時は東垂水の高台にあったようだが、火災により四度移転した。江戸時代には、三重塔や僧房を有する大伽藍があったが、今は焼失してしまった。
庫裏から本堂に至る参道の脇に石垣が残り、石垣の上に平坦地がある。そこがかつての坊舎跡だという。
転法輪寺は永らく荒廃していたが、近年になって寺の再建が始まり、昭和61年に本堂、大師堂、弁天堂が完成した。
坊舎跡の平坦地には、阿弥陀堂が建ち、小さな阿弥陀如来坐像が祀られている。
転法輪寺の御本尊である木造阿弥陀如来坐像は、平安時代前期の作品だそうだ。檜の寄木造で、蓮華座上に結跏趺坐する半丈六の像であるらしい。神戸市垂水区で最も古い仏像である。
国指定重要文化財であり、現在は鉄筋コンクリート製の収蔵庫に収められている。
転法輪寺は、幾度もの合戦や火災で焼失と再建を繰り返した寺院であるが、ご本尊が残っているのはありがたいことだ。
本堂の前には、下にマリア像を刻んでいると伝えられる灯籠、マリア灯籠がある。
このマリア灯籠は、江戸時代の隠れキリシタンゆかりのものと思われるが、どうして転法輪寺に今あるのかは謎である。
本堂前には、蓮の葉に囲まれた弁天堂がある。蓮の花が咲く季節に来たら、極楽の様な美しさだろう。
弁天堂に祀られる弁才天は、ヒンドゥー教の女神サラバスティーが密教思想によって仏教に取り入れられたもので、仏法を守護する天部の神様の一柱である。
弁才天は、元々水の神様だったが、芸術・音楽の神様でもある。琵琶と撥を持つ姿がその象徴である。
本堂には、ご本尊のレプリカと思われる新しい阿弥陀如来坐像が祀られ、その周りを千手観音菩薩立像と古い四天王像が取り囲んでいる。
仏像群の前には、仏を供養するための密教法具を置いた修法壇がある。
修法壇の四隅に立つ柱は、金剛橛(こんごうけつ)と呼ばれるもので、修法壇に結界を張るためのものである。
仏像群の左右の壁には、真言宗で「伝持の八祖」と呼ばれる、密教の経典儀軌を伝えた八人の僧侶を描いた、真言八祖像が掛けられている。
龍猛(りゅうみょう)菩薩、龍智菩薩、金剛智三蔵、不空三蔵、善無畏(ぜんむい)三蔵、一行阿闍梨、恵果(けいか)和尚、弘法大師が「伝持の八祖」である。
真言密教の主な経典は、「金剛頂経」と「大日経」の2つの経典である。2つともインドで書かれた経典である。
両経典の世界は、曼荼羅という図像でも表現される。「金剛頂経」の世界を表したのが金剛界曼荼羅であり、「大日経」の世界を表したのが胎蔵曼荼羅である。
初祖龍猛(りゅうみょう)菩薩は、南インドで生まれた僧侶で、南インドにあったとされる仏教経典が数多く収蔵された伝説の塔、南天鉄塔で金剛薩埵(こんごうさった)から「金剛頂経」を授かったとされている。
二祖龍智菩薩は、南インドで龍猛菩薩から金剛頂経系密教を伝授され、金剛智三蔵に伝えた。
三祖金剛智三蔵は、インドから唐に渡り、密教を中国に伝えた。
金剛智三蔵の弟子になったのが、西域(中央アジア)出身の四祖不空三蔵で、「金剛頂経」系の経典をサンスクリット語から漢語に翻訳した。
五祖善無畏三蔵は、インド出身の僧侶だが、唐に渡って金剛智三蔵に師事し、「大日経」をサンスクリット語から漢語に翻訳した。
六祖一行阿闍梨は、唐出身の僧侶で、善無畏三蔵の弟子となり、「大日経」の翻訳に従事した。
こうして「金剛頂経」と「大日経」の両経が唐で漢語に翻訳された。金剛界(「金剛頂経」系密教)、胎蔵界(「大日経」系密教)両部の密教を合体させ、真言密教を完成させたのが、長安の僧侶で、不空三蔵に師事した七祖恵果和尚である。
そして、日本から唐に渡り、長安にて恵果和尚から金胎両部の密教の全てを授けられ、日本に持ち帰ったのが、八祖弘法大師である。
インドで生まれた真言密教は、チベットと唐に伝わり、唐から日本に渡ったが、インドではイスラム教により滅ぼされ、唐でも廃れてしまった。
龍猛菩薩から始まった真言密教の法灯を現在も受け継いでいるのは、世界でも日本の真言宗とチベット密教のみである。
真言密教の伝来は、アジア全体を舞台とした壮大な物語と言える。
さてそのインド伝来の正系の真言密教を日本に伝えた八祖弘法大師こと沙門空海を祀るのが大師堂である。
大師堂に祀られる弘法大師像は、五鈷杵と念珠を持ち、固い決意を秘めた眼差しでこちらを見ておられた。
高野山奥の院で今も生身(しょうじん)のまま禅定していると信仰される弘法大師だが、その伝説は別として、真言密教を日本に持ち帰って弘めた功績は、日本の文化史の上でも絶大なものである。
本堂の脇には、護摩堂がある。
護摩堂は、護摩行という修法を行うための堂だが、護摩行で発生する煙を排出するため、天井に折上式の煙出しがある。
護摩堂に祀られる不動明王は、大日如来が衆生の煩悩を砕破するために、憤怒の姿に変化したものとされている。不動明王を拝むと、自分の心の中を見透かされているような気がする。
さて、転法輪寺には、かつて三重塔が建っていた。
三重塔はもうないが、礎石が一つだけ境内に残っている。今はその礎石の上に石造七重塔が建っている。
転法輪寺は、幾度も火災で堂宇を失ったが、建物が破壊されても、教えが残っていれば、寺院は何度でも再建することが出来る。