明石市 善楽寺

 兵庫県明石市は、江戸時代に明石藩の城下町として発展した。

 今日は明石城下の寺院の一つ、明石市大観町にある善楽寺を紹介する。

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善楽寺

 善楽寺は、孝徳天皇の御代の大化年間(645~649年)に、法道仙人が創建したと伝えられる、明石で最古の寺院である。現在は天台宗の寺院となっている。

 平安時代には繁栄したようだが、元永二年(1119年)に火災で堂宇の全てが焼失した。

 保元元年(1156年)に播磨守となった平清盛は、この地を重視し、善楽寺の堂塔伽藍の全てを再建し、自身の念持仏である木造地蔵尊と寺領五百石を寄進した。

 清盛は養和元年(1181年)に病没したが、清盛の弟教盛の子・忠快法師が善楽寺の住職をしており、清盛を供養するため、境内に五輪塔を建てた。

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平清盛五輪塔

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 その五輪塔が境内の片隅に残っている。

 写真ではスケールが伝わらないが、私が今まで見て来た数々の五輪塔の中で、最大である。高さ3.36メートル、花崗岩製で、明石市指定文化財である。

 清盛は、日本の歴史の中では、どちらかというと悪役に近いイメージを持たれているが、清盛に恩義を感じる人々もいるのである。

 善楽寺は、天文八年(1539年)の戦乱で再び焼失したが、文禄二年(1593年)に再建された。

 江戸時代に入って、明石藩主松平忠国が、「源氏物語」の世界をここに夢見て、明石の君の父・明石入道の屋敷をこの地に比定した。

 境内には、明石入道の碑や、「光源氏石浦之浜之松」がある。

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光源氏石浦之浜之松

 もちろん「源氏物語」は架空の物語なので、これは史跡でも何でもないが、現代のアニメファンがアニメに出てくる場所を「聖地」と呼ぶように、「源氏物語」を愛読した松平忠国は、光源氏の流謫の地で自分の領地だった明石に、物語と所縁のある場所を指定したかったのだろう。

 ところで、明石市の東隣の神戸市垂水区は、元々播磨国明石郡であった。その東の須磨区からが摂津国である。須磨の関から東が畿内だったわけだ。

 明石は、畿外の地の始まりの場所である。都育ちの光源氏が流れていくぎりぎりの場所として設定されたのだろう。

 善楽寺は、昭和20年に、戦災により再度焼けてしまったが、戦後に再び復興した。

 境内には、鉄筋コンクリート製の戒光院がある。

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戒光院

 ところで、明石は明石海峡の早い潮流のせいで、魚の身が引き締まり、良質の海産物が豊富に取れる。そのせいか、戒光院の前には、魚を供養するための魚籃観世音菩薩像が立っている。

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魚籃観世音菩薩

 観音様の足元の魚にだけ水をかけるようにと注意書きがしてある。

 私の曽祖父は、淡路島から出て来て、大正時代から昭和初期にかけて、西宮で八百屋を始めたが、その前に明石で海産問屋をしていた時期があったそうだ。ご先祖様との所縁を感じて手を合わせた。

 さて、善楽寺塔頭として、戒光院と別にあるのが円珠院である。

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円珠院

 円珠院には、宮本武蔵が作庭した庭園がある。

 元和三年(1617年)、信州松本から明石に移った小笠原忠真は、初代明石藩主となった。

 武蔵は、小笠原家の客分となり、明石城の築城や明石の町割りを指導したという。明石は、武蔵が設計した町と言ってもいいのかも知れない。

 明石市内には、武蔵が作庭したとされる庭を持つ寺院が複数ある。この円珠院もその一つである。

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宮本武蔵作の枯山水庭園

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 この枯山水庭園に、武蔵の剣術に通じる何かがあるのかどうか、私には分らない。
 武蔵は、小笠原忠真小倉藩に移封されると、小倉に移った。そして、島原の乱の戦いに加わったとされる。
 明石時代の武蔵は、比較的平和な生活を送っていたようだ。

 明石は、古来から歌枕にもなった歴史ある地域であるが、今や姫路に次いで播州第二の都市である。少しづつ、そんな明石の史跡を紹介していきたい。