有瀬にある神戸学院大学のキャンパスには、平成7年1月17日の阪神淡路大震災で故障した、明石市立天文科学館の2代目大時計が移設され、現在も時を刻んでいる。
大学キャンパスの中には入らなかったが、外からでも大時計を観ることが出来た。震災で一度時を止めた大時計も、今は元気に時を刻んでいる。この時計も、現在の明石市立天文科学館の大時計と同じく、原子時計なのだろう。
さて、ここから車を更に走らせ、神戸市垂水区多聞台2丁目にある吉祥山多聞寺を訪れた。ここは天台宗の寺院である。
多聞寺は、貞観五年(863年)に清和天皇の勅願により、慈覚大師が毘沙門天像を自ら刻んで安置したのを開創とする。
創建から約120年後、寺院は天災のため焼失するが、花山天皇の勅命により、明観上人により再建された。だがその後何度も焼失した。現在の本堂は、正徳二年(1712年)の再建である。
仁王門を潜ると、石造の弁天橋がかかり、その先に緑色の屋根を持つ本堂が見える。
弁天橋は、カキツバタが密生する池にかかっている。花盛りのころには、ここからの眺めは極楽浄土のような景色となることだろう。
本堂は、緑色の銅板葺きの屋根を戴いた優美な建物である。
ここに祀られる御本尊は、毘沙門天立像である。毘沙門天王は、天部に所属する仏法を守護する神である。別名多聞天という。
この多聞寺の付近は、本多聞や多聞台、舞多聞といった、「多聞」がつく地名が多いが、これ全て、多聞寺に祀られる毘沙門天王(多聞天)から来ている。
御本尊の両脇侍である木造日光・月光菩薩立像は、国指定重要文化財である。平安時代末期から、鎌倉時代初期の作とされている。
本堂前に佇み、戦いの神・毘沙門天王に祈りを捧げる。
本堂の前には、鐘楼があり、その西奥に阿弥陀堂がある。
阿弥陀堂は、昭和38年の再建である。阿弥陀堂に安置される阿弥陀如来坐像は、平安時代末期から鎌倉時代初期の作で、国指定重要文化財である。下品中生印を結んでいるという。
阿弥陀堂の隙間から、御像をありがたくも僅かに拝観することが出来た。
背後の煌びやかな光背は、後補であろう。
稚児大師像は、空海だけではないようだ。最澄は、南都(奈良)仏教に対抗する北嶺(比叡山)仏教を創設した傑僧である。最澄のおかげで、大乗仏教が広く日本に定着するようになったと言える。
境内の外には、文殊堂がある。智慧を象徴する文殊菩薩を祀っている。
文殊堂は、江戸時代までは境内にあったが、老朽化によって失われた。現代の文殊堂は、昭和になって建てられたものである。文殊菩薩は、梵語名は「マンジュシャリ」で、漢語訳は妙吉祥であるらしい。多聞寺の山号である吉祥山は、ここから来ているそうだ。多聞寺の駐車場脇には、平成24年に建てられた不動堂がある。
不動堂には、不動明王坐像が鎮座している。ここで天台密教の護摩行が行われることだろう。
私はかつて神戸市垂水区に住んでいたことがあるが、垂水区に目立つ多聞がつく地名が、この多聞寺から来ていることは知らなかった。
それだけ地域に尊崇されている寺院なのだろう。古くから信仰されている寺社は、地域の精神的支柱となるものである。