神戸市西区神出(かんで)町に、綺麗な円錐形の山が2つ並んで聳えている。2つの山が並ぶ姿を遠くから見ると、女性の乳房のように見える。
雄岡山(おっこさん)、雌岡山(めっこさん)である。
御覧のように、双方似たような形であるが、高さも雄岡山が標高241.3メートル、雌岡山が標高249.5メートルとほぼ同じである。
遠くから見ると、二本の牛の角のように見えたことから、古代には男牛、女牛と呼ばれていたらしい。
地元に伝わる伝承では、かつてこの二山は、男神、女神として信仰を集めていた。ところがある時、男神が小豆島の美人神に会いに行こうとした。男神は、女神が止めるのも聞かず、鹿に乗って出かけた。ところが、途中で淡路の漁師に射られ、男神と鹿は海に沈んだ。すると鹿は忽ち赤い石になった。これが明石の地名の発祥とされている。古代には、明石は赤石と呼ばれていた。
私は、二山に登りたかったが、雄岡山は徒歩でしか登れない。時間の都合上、雄岡山に登るのは諦めた。雄岡山の頂上には、帝釈天を祀る石造りの小詞があるようだ。
雄岡山と雌岡山の丁度中間に池がある。金棒池という。
この池の誕生にも説話がある。怪力無双の武蔵坊弁慶が、雄岡山と雌岡山の両方の横腹に金棒をさして、二山を持ち上げようとした。しかし持ち上げる途中、金棒が折れて地面に落ち、そこが池になったという。
金棒池の中には、古墳がある。金棒池1号墳という。
この古墳の周辺からは、旧石器などが採掘されたらしい。
さて、雌岡山は、多くのハイキング客が登山を楽しんでいる。登りやすく、地元に愛されている山なのだろう。頂上まで車で上ることが出来る。
私は、スイフトスポーツで山上に上った。山上からは、淡路島や明石海峡大橋を眺めることが出来る。
雌岡山山頂には、神出神社がある。
社伝によれば、素戔嗚命とその妻・奇稲田姫(くしいなだひめ)命が雌岡山に降臨し、山で薬草を採取して、住民の病苦を救い、住民に農耕を指導した。そして、二人の間に数多くの神々が生まれた。神が出た場所なので、神出神社という。
素戔嗚命と奇稲田姫命の間の子として最も著名なのは、大貴己(おおなむち)命である。出雲大社の祭神・大国主命の別名だ。
神出神社には、素戔嗚命、奇稲田姫命、大貴己命の三神を祀っている。
神出神社に伝わる神話は、イザナギ命とイザナミ命の二神の「みとのまぐわい」から、神々と日本列島が生まれたとする、「古事記」「日本書紀」の神話とまた別の系統の神話である。
おそらく、素戔嗚、奇稲田姫ペアや、大貴己、少彦名ペアが国造りをしたという神話は、出雲勢力の神話だったのだろう。出雲勢力を打倒した大和勢力は、出雲系の神々を根絶やしにすることが出来ず、自らの神話の中に取り込んだのだろう。そしてついに、素戔嗚を自分たちの主神の天照大御神の弟にしてしまった。
記紀神話では、出雲勢力が天孫系の神々(大和勢力)に国譲りをしたとされている。ということは、この神出神社に伝わる神話は、記紀神話より古くからこの地方に伝わっていた神話だろうと思われる。
雌岡山の中腹には、裸石(らせき)神社と姫石(ひめいし)神社がある。
裸石神社の御神体は、陽石(男根石)である。
本殿にその名の通り、男根の形をした石が鎮座している。陽石は、本殿の窓から覗くことが出来る。
陽石の傍に、女陰の形をした石も置いてある。周りには、アワビの貝殻が沢山落ちている。思い人の名をアワビの貝殻に書いて裸石神社に奉納したら、願いが叶うとされているからである。
裸石神社のすぐ側に、陰石(女陰石)を祀る姫石神社がある。神社と言っても、社殿があるわけではなく、陰石をそのまま祀っているだけである。
私が日本の神話が好きなのは、素朴で人間味に溢れ、性に対しても好い意味で開けっぴろげなところである。そこに暗さは微塵もない。
「古事記」が書かれた時代は、既に日本に仏教が伝来し、仏教の戒律も伝わっていた。「不邪淫」という考えも日本の知識層には広まっていただろう。そんな時代に、性に関する伝承を臆面もなく出した歴史書が編纂されたのだ。
男女の性から生まれてくる生命に対する畏敬の念と、昔からある夫婦喧嘩(イザナギとイザナミの黄泉比良坂のやりとりは、日本初の夫婦喧嘩だ)を面白おかしく伝えようという気もちが、日本の神話には流れている。神様と言えども、格好つけることなく、感情剥き出しの素朴さを持っているのがいい。
昔の日本人は、どうやら自然のままを尊重したようだ。