明石市立天文科学館 後編

 天文科学館では、当日鉱物の展覧会を行っていた。地球外から飛来した隕石のレプリカも展示してあった。

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隕石のレプリカ

 元々地球という惑星は、宇宙空間を漂うこのような岩石が、お互いの引力に引かれて合体して出来上がったものである。

 こんな岩石の塊が合体して巨大化し、重力による膨大な圧力により、内部で岩石が溶けて溶岩となってマントル対流が発生し、それに伴って地殻変動が起こっているというのだから不思議だ。

 人類は昔から星空を見上げてきたが、よりよく宇宙を観察できる望遠鏡が発明されたのは、意外と新しい。

 1608年にオランダの眼鏡屋が2枚のレンズを重ね合わせて見たことから、望遠鏡の歴史が始まった。

 1609年に、ガリレオ・ガリレイがその話を聞いて、望遠鏡を自作して星空に向けてみた。

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ガリレオ・ガリレイ自作の望遠鏡の模型

 ガリレイは、太陽黒点や月のクレーター、木星の衛星、土星の環、天の川銀河を構成する星々を発見して驚いた。

 1668年には、アイザック・ニュートンが反射式望遠鏡を発明した。

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ニュートンの反射式望遠鏡

 1783年には、ハーシェルが大型の反射式望遠鏡を開発し、銀河系の恒星を観察し、星の明るさから恒星と地球との間の距離を測り、銀河系の形を明らかにした。

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ハーシェルの望遠鏡の模型

 その後は、人間の肉眼が捉えることが出来る可視光線だけでなく、肉眼に見えない赤外線や紫外線、電磁波を捉えて観測する望遠鏡も開発された。

 また、アメリカが宇宙空間に打ち上げたハッブル宇宙望遠鏡は、大気のゆらぎの影響を受けずに精密な宇宙の姿を観測してくれた。

 こうして観測された宇宙の星々の姿から、アインシュタインハッブルなどが、宇宙の物理法則を発見していった。

 天文科学館の4階には、太陽を観測する太陽望遠鏡が設置されていて、観測された太陽が、実際の10億分の1の大きさで、3階のモニターに映し出されている。

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太陽望遠鏡の説明板

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モニターに映し出された太陽

 何気なくモニターに映っている太陽を眺めたが、途中でこの太陽が活動を停止すれば、地球上の全生命が一瞬たりとも生きていけないことに気づいて、ありがたいやら恐ろしいやら、不思議な気持ちになった。

 地球上の誰もが自分自身の力だけで生きていないのを実感する。

 この太陽を中心とした太陽系の模型が展示されていた。太陽の右側の豆粒の様な青い星が地球である。サイズはデフォルメされていると思うが、地球がちっぽけな存在であることに変わりはない。

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太陽系の模型

 長大な人類の歴史と言っても、この小さな星の上で演じられてきたものに過ぎないと思うと、自分たちの存在の小ささと儚さと脆さを感じる。

 そんなちっぽけな人類だが、果敢にも宇宙に進出しようとしている。

 宇宙開発の父と呼ばれる人は、ロシアのコンスタンチン・ツィオルコフスキーである。

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宇宙開発の父・ツィオルコフスキー

 ツィオルコフスキーは、宇宙に出ていく交通手段としてはロケットしかないことを理論上明らかにしたそうだ。

 理論通り、今のところ人類が大気圏外に物を運ぶ手段は、ロケットしかない。人類はロケットを使って宇宙空間に物を運び、驚くべきことに、巨大な宇宙ステーションを建設した。

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国際宇宙ステーションの模型

 我が国も自前のロケットを使って、気象衛星や探査衛星などを宇宙空間に打ち上げている。

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日本が誇るH‐ⅡBロケット

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はやぶさはやぶさ2の模型

 火星の外側に散らばる小惑星帯に、日本はロケットで打ち上げた探査衛星「はやぶさ」「はやぶさ2」を送り込み、小惑星に着陸させて、試料を採取している。両方地球の重力を利用したスイングバイと燃費に優れたイオンエンジンを使って、小惑星まで到達した。

 はやぶさ2は、平成26年に打ち上げられ、平成30年に小惑星リュウグウに着陸した。今年12月に地球周辺に戻ってリュウグウの試料の入ったカプセルを地球に投下した後、別の小惑星に向かうそうだ。別の小惑星に着陸するのが10年後になるらしい。

 はやぶさ2は、日本という国家が有史以来最も遠くに派遣した物体と言えるだろう。

 エレベーターで、天文科学館の時計塔の14階の展望室に上ってみる。展望室からは明石の街並みと淡路島、明石海峡大橋が眺められた。

 明石は海峡の街だ。

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展望室からの眺め

 ちなみに16階には口径40㎝の反射式望遠鏡があって、月に1回天体観測会が行われている。

 さて、天文科学館では、プラネタリウムの上映が行われている。天文科学館のプラネタリウムは、ドイツのカール・ツアイス社製で、昭和35年の開館時から現在まで60年間使用されている。

 いま日本で使用されているプラネタリウムの中では最古のものである。

 私が愛用しているデジカメのソニーRX100のレンズもカール・ツアイス社製である。密かにこのプラネタリウムと兄弟だと思う。

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明石市立天文科学館のプラネタリウム

 星の投影時に館の係員が解説してくれるが、テープに録音した声ではなく、生の声で解説してくれる。なかなか味があっていい。明石市にはこの試みを是非とも続けてほしい。

 前回、明石は日本標準時となる子午線が通る町だと紹介したが、昭和3年に子午儀によって子午線の正確な位置が測りなおされた。

 子午儀とは、天の北極と南極を結ぶ天の子午線上を通過する星を観測することで、その土地の経度や時刻を計測する機械らしい。

 昭和3年、明石市教育委員会の依頼を受けた京都大学地球物理学教授の野満隆治は、子午儀を当時の明石中学(現兵庫県立明石高等学校)の校庭に設置し、子午線を計測した。

 その時に使われたザルトリウス子午儀は、明石市指定文化財として、天文科学館に展示してある。

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ザルトリウス子午儀

 野満が子午儀を設置した場所には石碑が建っているらしいが、今は明石高等学校の敷地内である。

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兵庫県立明石高等学校

 天文科学館見学後、明石高校に行ってみたが、さすがに勝手に敷地内には入れないので、石碑の確認は出来なかった。

 コロナウイルスの影響で、観客はまばらだったが、明石市立天文科学館は素晴らしい教育施設である。

 私も久々に童心に帰り、宇宙の中の地球という視点を楽しんだ。