明石市立天文科学館 前編

 明石は時の街とも呼ばれている。日本標準時の基準となる東経135度の子午線がこの町を通っているからである。

 この子午線上に太陽が南中した時、日本全国が正午となる。

 東経135度の子午線が、日本標準時の基準となったのは、明治21年1月1日のことである。

 当時の一般民衆は、日本標準時子午線が明石市を通過していることをあまり知らなかった。

 明治43年に、明石郡内小学校の教師たちが、子午線が明石を通過している事の重要性に気づき、自分たちの給与を割いて、子午線が通過する場所に子午線通過地識標を建立した。

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大日本中央標準時子午線通過地識標

 この識標は、明石市天文町にある明石警察署大蔵交番の隣に建てられている。

 ここから北に行くと、山陽電鉄人丸駅があるが、子午線は人丸駅上を通過している。人丸駅のホームには、子午線が通過する場所がタイルで線状に示されている。明石市立天文科学館の展望台から見下ろすと、よく分かる。

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山陽電鉄人丸駅ホーム上の日本標準時子午線

 ホーム中央に線が入っているが、そこが日本標準時子午線通過地点である。

 さて、明石市立天文科学館は、昭和35年6月10日の時の記念日に開館した。日本で最も古いプラネタリウムを有する、時と星と宇宙に関する資料館である。

 天文科学館は、昭和に建ったものだが、明石を象徴する建物だと思う。

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明石市立天文科学館

 天文科学館の時計塔は、日本標準時子午線上にある。今の時計は3代目である。2代目の時計は、平成7年の阪神淡路大震災の際に、地震のあった午前5時46分を指したまま停止した。塔にひびが入り、修復を余儀なくされた。2代目の時計は、現在は神戸市西区の神戸学院大学のキャンパス内に移転され、今も時を刻んでいる。

 日本で初めて時を人々に知らせたのは、天智天皇である。

 天智天皇十年(671年)6月10日に、中国から伝わった漏刻という時計を用いて時を計り、人々に告げた。日本初の時報と言われている。

 時計塔の下の子午線上に漏刻が設置されている。

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漏刻

 漏刻は、いくつかの水槽を管でつなぎ、水が順番に伝わることにより、水が一定の速度で流れる様に工夫されている。一番下の水槽の水位を目盛りで計って、時を読み取る仕掛けである。

 館の北側には、日本の美称である秋津洲(あきつしま、トンボの島の意)を象徴するトンボを戴いた子午線標示柱がある。

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子午線標示柱

 天文科学館時計台の時計は、原子時計である。館内に入ると、原子時計の操作盤が公開されている。

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原子時計の操作盤

 原子時計は、1955年にイギリスで開発された。

 セシウム133という原子の中心と外側電子の持つ磁力の状態を、安定状態から不安定状態に変えるのに必要な電波が、91億9263万1770回振動したら1秒になるらしい。原子時計はこの電波の振動を利用して時を計る。

 原子時計は、数百万年に1秒しか狂わないそうだ。現状で世界で最も正確な時計である。世界各国の標準時は、原子時計により作られている。

 今一般に使われている電波時計も、原子時計が刻んだ標準時刻を電波で受信することで時差を修正している。

 天文科学館には、日本で初めて使用された原子時計2台のうちの1台が展示されている。

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日本初のセシウム原子時計

 このセシウム原子時計は、ヒューレットパッカード社製で、昭和40年1月に導入された。2台のうちもう1台は所在不明らしい。

 天文科学館には、多くの資料が展示されているが、今日は時計に関する資料を紹介しよう。

 人類は、時を計る必要に迫られ、古代は日時計や漏刻などで時を計った。

 昔の日本では、平に敷き詰めた灰の上に、抹香を迷路のように線状に置き、抹香を燃焼させて時を計る香時計が利用された。

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香時計

 西洋では、13~14世紀に、重りが下がる力を利用して時を計る時計が開発された。

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重りを使った時計

 日本でも江戸時代には、重りを使った櫓時計や掛け時計が使用された。

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櫓時計

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 江戸時代には、日の出、日の入りを基準として時を計っていた。夏は日中の時間が長くなり、夜間の時間が短くなる。冬はまた逆である。これを錘が落ちる速度を調節する天符という装置で調整し、時を刻んでいた。

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江戸時代の時刻

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天符の説明

 西洋では16世紀に、ガリレオ・ガリレイが振り子の等時性を発見し、1656年にオランダの物理学・天文学者ホイヘンスが振り子時計を発明した。これにより、機械式時計の精度が格段に向上した。

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振り子時計

 更に、ゼンマイがほどける力を利用したゼンマイ式時計が発明され、時計は小型化し、懐中に入れたり、腕にはめられるようになった。

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ゼンマイ式時計

 20世紀後半には、電圧をかけると振動する水晶振動子を利用して時を計るクォーツ時計が登場する。

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クォーツ時計

 クォーツ時計は、ゼンマイ式時計より圧倒的に正確な時刻を刻む。現在の電池で動く時計はクォーツ時計である。一般に電波時計と呼ばれる時計は、基本はクォーツで時を計り、原子時計が計った時刻を電波で受信して時間を修正している。

 館内の時計コーナーに、かつて国鉄の車掌や運転士が使用していた時計が展示してあった。

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国鉄職員が使用していた時計

 日本の列車の正確な運航を支えていた時計である。時刻を計ることは、社会の発展のために欠くべからざるものである。

 高価な時計より、こういう無個性で平凡な時計がいいと感じる。

 また、全日空の航空機に搭載されていた時計も展示してあった。

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航空機に使用された時計

 天文科学館の屋上に行くと、数々の日時計が展示してある。

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日時計たち

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 元々地球上の時刻や日付は、地球の公転周期と自転周期から決定されるもので、とどのつまりは天体運航から来ている。地球の公転周期や自転周期も、時と共に少しづつ変動するだろうから、時は常に一定というわけではない。

 地球上で起こった現象の時間上の位置を特定するのに、時刻はなくてはならないものである。歴史は時刻を計らなければ正確に記録できない。

 普段何気なく時計を気にする我々だが、時計を見て時刻や日付を知ることで、宇宙の中に生きる自分を確認していると言える。