兵庫県三木市吉川町吉福にある、姑射山(こやさん)東光寺を訪れる。ここは、真言宗の寺院である。
東光寺は、三木市吉川町と三田市との境界付近にある。三田市は、摂津国の領域である。播州のほとんど東端までやってきたわけだ。
東光寺は、神亀年間(724~729年)に、伊丹の昆陽寺(こやでら)を開いた行基菩薩が、この地に来て創建したとされる。
東光寺の山号である姑射山も「こやさん」と読み、昆陽(こや)と通ずる。何か謂れがありそうだ。
東光寺の本堂は、国指定重要文化財である。この本堂の蟇股には、永正十四年(1517年)に補修した際の墨書が残っており、室町時代中期から後期にかけて建てられた建物であると分っている。
東光寺本堂は、方五間の寄棟造り、本瓦葺の建物で、和様と唐様、天竺様を折衷した様式である。
約五百年の風雪に耐え続けた、渋みのある表情をした建物だ。
本堂の背後には、多宝塔が顔を覗かせている。
本堂の内陣は、実に地味で、落ち付いた色合いをしている。
銅鍾は、慶長六年(1601年)に鋳られたもので、姫路の鋳物師集団「姫路野里の鋳物師」の特徴があり、製作者として、平末次の銘があるそうだ。
本堂奥に聳える多宝塔は、1階が本瓦葺で、2階が鉄板で仮葺きされている。
元々は、2階も1階と同じく、本瓦で葺かれていたという。私が史跡巡りで訪れた、7番目の多宝塔である。
この多宝塔は、兵庫県指定文化財となっており、建立は本堂と同時期の室町時代中期とされる。大正時代初期に修復され、その際2階が鉄板葺きにされた。
軸部及び斗栱部、相輪、建具、内部須弥壇などは、創建当初のままであるという。
内部須弥壇の格挟間の刳型や、絵様彫刻は、当時の特徴を残して素晴らしいそうだが、内部の拝観は出来なかった。
私が参拝した時は、残念ながら雨が降っており、境内にも少し寂しさが漂っていた。
思えば、夏は高温多湿で、台風、地震、津波などの自然災害が多く、梅雨時や秋には大雨がたびたび襲う日本列島で、古い木造の建物が今まで数多く生き残っているのは、いかに先人たちが協力して文化財を守って来たかの証であると思う。