城郭

萩丸城跡 

岡山県久米美咲町北にある岡山県総合畜産センターの東側に、センターの娯楽施設の「まきばの館」がある。 まきばの館 まきばの館案内図 まきばの館には、レストランや土産物屋、アスレチック広場、ドッグラン、ラベンダー広場などがあり、休日の家族連れで賑…

津山市 岩屋城跡 後編

本丸跡から二の丸跡に向かう。二の丸は、本丸の東側に位置する重要な防御機構であった。 本丸跡と二の丸跡の間には、堀切がある。 堀切 堀切は尾根を分断するために人工的に掘られた空堀で、尾根沿いに攻めてくる敵軍を足止めするための山城の防御機構の一つ…

津山市 岩屋城跡 中編

山王神社の参拝を済ませて、更に登り続けると、大手門跡が現れる。 大手門跡 ここが城の正面である。大手門跡を過ぎると水門跡がある。 水門跡 水門跡を過ぎて更に進むと、水神宮がある。 水神宮拝殿と龍神大杉 水神宮拝殿 水神宮は、龍神池の池中に祀られて…

津山市 岩屋城跡 前編

三成古墳から西に向かい、岡山県津山市中北上に聳える岩屋山(標高約483メートル)の山上にある岩屋城跡に向かった。 岩屋川沿いに細い道を北上すると、谷間に登山者用の駐車場がある。そこに車をとめ、歩き始めた。 岩屋城跡の図 岩屋城は、嘉吉元年(1441…

炬口城跡

炬口(たけのくち)八幡神社の裏の万歳山上にあるのが、炬口城跡である。 炬口城は、永正二年(1505年)に安宅(あたぎ)監物秀興が築城したと伝わっている。安宅氏は、地元の国人である。 万歳山 この城跡への登り口は、万歳山の東側にある事代主神社の北側…

玉松城跡 後編

北の丸跡から本丸跡に向かう。本丸跡は広々とした曲輪である。 本丸跡 本丸跡には、石垣の石か建物の礎石と思われる石が転がっている。その石の上に、古い瓦が置かれていた。 石の上の瓦 城の建造物の痕跡が、僅かながらここに残っていた。 また、本丸跡には…

玉松城跡 前編

金川の町の北側に聳える臥龍山上に築かれた玉松城(金川城)は、戦国時代に西備前に覇を唱え、最後は宇喜多直家により滅ぼされた松田氏が拠点にした城跡である。 臥龍山 松田氏は、元々は相模国に住む御家人だったが、承久三年(1221年)の承久の乱の戦功に…

金川陣屋跡 武藤邸跡

岡山市北区御津金川の町は、江戸時代を通して岡山藩の家老日置(ひき)氏の所領であった。 日置氏は、金川に陣屋を置いて行政を司った。陣屋とは、所領3万石以下の大名や、大藩の家老、上級旗本が所領に置いた政庁のことである。 3万石以下の大名は、幕府…

徳倉城跡

2月6日に備前方面の旅をした。 最初の目的地は、岡山市北区御津河内にある徳倉城跡である。徳倉城跡は、標高約232メートルの遠藤山の山頂にある。 遠藤山 遠藤山の麓には、天児屋根命を祀る徳蔵神社がある。 この神社には、天文年間(1532~1555年)に徳倉…

白巣城跡

八衢神社の参拝を終え、次なる目的地の白巣城跡に向かう。 白巣城跡は、兵庫県洲本市五色町鮎原三野畑の白巣山上にある。 白巣山 白巣山は、標高317メートルの低山だが、山頂は平らになっている。山頂部に、曲輪が連なった山城があるわけだ。 白巣城跡は、私…

兵庫県公館 花隈城跡

南京町から北上し、JRの高架を潜り、坂道を登る。 神戸市中央区下山手通4丁目にある兵庫県公館を訪れた。 兵庫県公館 兵庫県公館門扉 門衛所 兵庫県公館は、明治35年(1902年)に第4代兵庫県庁舎として建設された。 設計者は、東京音楽学校(現東京芸術大…

黒井城跡 後編

石踏みの段を過ぎて更に歩いていくと、城の主郭部に至る。本丸、二の丸、三の丸が連なっている。 黒井城跡主郭部見取図 主郭部は、南側を中心に、石垣で囲まれている。登山口近くの駐車場の説明板に、黒井城跡主郭部の空撮写真が掲げてあった。これを見ると…

黒井城跡 前編

興禅寺の裏にある標高約356メートルの城山上にあるのが、黒井城跡である。 この城は、日本城郭協会が定めた続日本百名城の一つである。因幡の若桜鬼ヶ城跡に次いで、私が2番目に訪れた続日本百名城である。 城山 麓から見上げても、城山の頂上付近が平らに…

大梅山興禅寺 後編

七間堀にかかる石橋の奥に興禅寺楼門がある。 石橋 興禅寺楼門 朱塗りの楼門は、近年興禅寺と法縁のある京都府宮津市の智源寺から移築されたものである。 2階建てであるが、2階には観音像を祀っているそうだ。門の左右には二天像が安置されている。 二天像…

大梅山興禅寺 前編

達身寺の見学を終えて、丹波市春日町に向かった。 途中激しく雨が降り出した。私は傘を持って来ていなかったので、途中コンビニエスストアに寄って、安い傘を買った。 今後、突然の雨に備えて、スイフトスポーツにはこの傘を常備しておこうと思う。 兵庫県丹…

糘山

剣戸古墳群の見学を終え、そこから西に車を走らせる。 津山市神代にある糘山(すくもやま)という低山には、史跡が数多く点在している。 糘山は、標高約262メートルで、山の南半分は、久米カントリークラブというゴルフ場である。 糘山の西側を南北に通る県…

荒神山城跡

11月14日に、今年の夏以来の美作の旅をした。 最初に訪れたのは、岡山県津山市荒神山にある荒神山城跡である。 荒神山 荒神山は、標高約298メートルの低山である。 荒神山城跡へは、麓の集落から登って行くことになる。 荒神山城跡への登り道 舗装された道を…

村岡陣屋跡

昨日の記事で書いたように、兵庫県美方郡香美町村岡区村岡は、江戸時代に交代寄合旗本の山名家が領有し、陣屋を置いた場所である。 その陣屋は、今は跡形もないが、かつて陣屋があった御殿山は、公園として整備されている。 御殿山公園への登り口 御殿山公園…

景石城跡

三角山神社奥宮本殿の参拝を終えて下山し、三角山と景石城跡のある城山との分岐点のある中鳥居に戻った。 そこから北上し、景石城跡を目指した。 景石城跡への道 尾根道を進んで行く。三角山と城山の中間地点には、子持ち松砦跡がある。 子持ち松砦跡 子持ち…

八木城跡 後編

見事な石垣のある本丸を抜けて、城山の更に奥に進んでいく。 南北朝時代に築かれ、天正時代に秀吉軍により落城した八木土城を目指した。 登山道は整備されていないが、まばらな叢林の間を抜けて行く感じで、困難な道程ではない。 割合平坦な道を行くことにな…

八木城跡 前編

箕谷古墳群の見学を終え、国道9号線を西に走る。 兵庫県養父市八鹿町八木にある八木城跡を訪れた。 八木城跡のある城山 鎌倉時代に、地元の豪族朝倉高清が、次男安高に八木の地を分け与え、安高が八木姓を名乗った。 八木氏は安高から豊信まで15代約350年間…

八上城跡 後編

高城山の頂上が近づいてきた。八上城跡の主郭付近に接近する。 八上城跡は、高城山の頂上付近に、本丸、二の丸、三の丸、岡田丸、右衛門丸という曲輪群を有する連郭式山城である。 八上城跡縄張図 頂上に近づくと、まず目に入るのが右衛門丸である。 右衛門…

八上城跡 前編

元々因幡国八上郡の国人であった波多野氏は、応仁の乱で戦功を上げ、丹波国多紀郡の郡代となり、丹波に進出することとなった。 波多野氏は移転先の根拠地に八上の名をつけた。出身地の因幡国八上郡の名を忘れなかったようだ。 その後、波多野秀通は、永正十…

篠山郊外の史跡

篠山の城下町の散策を終え、篠山郊外の史跡を訪れた。 先ず訪れたのは、丹波篠山市北にある曹洞宗の寺院、医王寺である。 医王寺 医王寺に祀られているのは、薬師如来である。お寺というより、お堂というくらいのささやかな建物だ。 医王寺の本堂 境内の薬師…

篠山城跡 その4

大書院の南側には、かつて二の丸御殿があったが、明治になって篠山城が廃城となった際に取り壊された。 二の丸御殿は、藩主やその奥方、家族が居住する建物だった。 二の丸御殿を立体的に復元する資料がないため、当時の間取図を基に、御殿のあった場所に平…

篠山城跡 その3

大書院の西側には、篠山城の歴史についての資料やゆかりの品を展示した史料館が建っている。史料館は当時を彷彿とさせる木造瓦葺建築である。 大書院と史料館の間取り 史料館出入口 篠山藩は、当初松平三家と呼ばれる三つの松平家が藩主を務め、その後譜代大…

篠山城跡 その2

慶長十四年(1609年)に篠山城が築城された時の篠山藩主は、松平康重である。 康重の家は三河国幡豆郡に本拠を置き、代々松井氏を称していたが、康重の父・松井康親から家康に仕えるようになった。 康重の代になって、家康から松平姓を与えられた。康重は慶…

篠山城跡 その1

9月30日に、私の住む兵庫県にも出ていた新型コロナウイルス感染拡大防止のための緊急事態宣言が終了した。 ようやく史跡巡りが再開できるようになった。 今日訪れたのは、兵庫県丹波篠山市である。 最初に丹波篠山市の象徴とも言うべき、篠山城跡を訪れた。…

唐櫃城跡

香音寺城跡から北上し、鳥取県八頭郡智頭町大字木原にある唐櫃城跡を訪れた。 唐櫃城跡 唐櫃城跡案内板 唐櫃城跡は、標高299メートルの岩谷山の山上にある。とは言え、元々このあたりの標高が高いので、平地との実際の高低差は約60メートルほどである。 国道…

光恩寺跡 香音寺城跡

那岐神社からJR因美線那岐駅前に戻った。 那岐駅の東側にはトンネルがある。そのトンネルのある山上に、かつて光恩寺という禅寺があったという。 光恩寺のあった山 因美線那岐駅 那岐駅の木製改札 この那岐駅は、駅舎内に診療所があり、集落に住む住民の拠り…