摩気神社

 瑠璃渓の見学を終えて北上し、南丹市園部町竹井宮ノ谷にある摩気(まけ)神社を訪れた。

摩気神社

 摩気神社は、船井郡名神大社として、「延喜式」に記載のある式内社で、祭神は、大御饌津彦(おおみけつひこ)命である。

 永暦三年(1079年)には、白河天皇が当社に行幸し、社殿を修築したという。

 江戸時代には、園部藩主小出家の累代の祈願所となった。

摩気神社鳥居の扁額

 摩気郷十一村の総社とされている。

 鳥居は、寛文十二年(1672年)に園部藩主小出吉久が寄進したものである。

鳥居

 鳥居を潜ると正面に神門がある。文化五年(1808年)に園部藩主小出英筠により建立されたものである。

境内

神門

 神門の屋根は、元は茅葺であったという。斗栱は二手先まで組まれ、木鼻は透彫である。

斗栱と木鼻

扁額と虹梁

 虹梁の波型模様の彫刻も鋭く、重厚な神門である。

神門の裏側

 摩気神社は、宝暦十一年(1761年)に火災で焼けてしまった。その6年後の明和四年(1767年)に藩主小出英持により本殿や摂社、拝殿が再建された。

境内の建物群

 神門を潜って左手にある絵馬舎は、旧拝殿である。昭和になって今の拝殿が出来てから、場所を移して絵馬舎として用いられることになった。

 今は銅板葺だが、元々は茅葺だったそうだ。

絵馬舎

絵馬

 絵馬舎には、江戸時代のものも含め、様々な絵馬が掛けられている。

 鳥居、神門、絵馬舎は京都府登録文化財である。

 拝殿前には、幕末の名工丹波佐吉が刻んだ狛犬がある。たてがみや尻尾の細密な彫りなど、見所が多い。

丹波佐吉作の狛犬

 拝殿は茅葺、入母屋造、吹き抜けの簡素な建物である。神々を近くに感じることが出来る拝殿だ。

拝殿

 拝殿の背後には、中央の本殿と、その左右にある東摂社、西摂社、その3つの建物を覆う茅葺の覆屋がある。

覆屋

 本殿、東摂社、西摂社、覆屋は、いずれも明和四年(1767年)に再建されたもので、京都府指定文化財である。

 覆屋は茅葺で、頗る古風を残している。

本殿

 中央の本殿は、大型の一間社流造で、一間社流造としては、京都府下で最大の建物である。

 屋根は杮葺である。

本殿

蟇股の彫刻

木鼻の彫刻

 蟇股や虹梁の彫刻もよく彫られているが、江戸時代中期のものにしては、簡素な彫刻だそうだ。

 東摂社には、六柱の神々が、西摂社には、八柱の神々が祀られている。

 本殿に向かって左が東摂社、向かって右が西摂社である。

東摂社

 摂社は、切妻造の簡素な建物である。

西摂社

 社殿の背後には、秀麗な三角形の山がある。胎金寺山である。

胎金寺山

 かつて山上に胎金寺という真言宗の寺院があり、摩気神社を管理する別当寺だったが、明治の廃仏毀釈で廃寺となった。

 摩気神社の境内に、護摩堂という建物があり、そこに十一面観音立像が安置されている。

護摩

 胎金寺の本尊だった仏像だろうか。これも神仏分離の名残だろう。

 摩気神社は、丹波の山中にて、今も明和四年(1767年)から伝わる茅葺の屋根に覆われた覆屋や、杮葺きの本殿、摂社を擁している。

 近年、茅葺屋根の維持が困難なため、屋根を銅板葺や瓦葺に葺き替える神社が多い。

 昔は神社の屋根の大半は、茅葺や杮葺、檜皮葺といった植物を素材とした屋根だった。

 古えの風儀を残す摩気神社の建物群は、貴重な文化財である。