萩丸城跡 

 岡山県久米美咲町北にある岡山県総合畜産センターの東側に、センターの娯楽施設の「まきばの館」がある。

まきばの館

まきばの館案内図

 まきばの館には、レストランや土産物屋、アスレチック広場、ドッグラン、ラベンダー広場などがあり、休日の家族連れで賑わっていた。

 私もここで昼食を摂った。

 このまきばの館の南東側にある展望台と呼ばれる小高い丘が、萩丸城跡だという。

萩丸城跡

 萩丸城跡は、文明十一年(1479年)に佐和国高が築いた城だと言う。

 佐和国高は、関東公方だった足利持氏の家臣だったが、持氏が室町幕府に追討され、自決した時に、関東から赤松氏を頼ってこの地に来て、萩丸城を築いたという。

 この展望台は、独立した丘陵だが、城としての防御機構があるように見えない。出城のように見える。萩原城の本城は、別の場所にあるのではないか。

 萩原城跡の頂上には、東屋がある。

頂上の東屋

頂上付近

 東屋からは、岡山県総合畜産センターとまきばの館の広々とした敷地を見渡すことが出来る。

頂上からの展望

 はるか遠くの山々が見える。空気の透明度が高い日は、大山が見えるという。私が訪れた日は、残念ながら見えなかった。

 私が旅の道標にしている県別マップルの岡山県道路地図を見ると、畜産センターの牛舎の南側にある山中が萩丸城跡となっている。

 その場所に行ってみたが、案内板もなにもなく、実際にここが城跡だったのかどうか分からない。

萩丸城跡?

 とりあえず山中に入ってみようと思った。どうも登り口が分からない。

 山の西側の道路を往復していると、弘法大師堂があった。

弘法大師

 この弘法大師堂の裏に道があり、山の方に続いていた。弘法大師のお導きかと思った。

弘法大師堂から山に続く道

 この道を歩いて、城跡があるという山に入ろうとしたが、道は途中藪に遮られ、なくなってしまった。藪の中に入ると、かろうじて道らしいものがあった。

山へ入った場所

山頂部への道

 山頂部へ至る道は、尾根道になるが、途中堀切があるわけではなく、防御機構と思えるものも見当たらない。

山頂部

 山頂部に来たが、何の目印もない。

 結局ここが萩丸城跡の本城であったかは分からない。ネット上にも情報はなかった。

 萩丸城は、永正十七年(1520年)に浦上村宗が岩屋城を攻略した時に攻め落とされたようだ。

 この時に、佐和氏も滅亡した。

 史跡巡りを始めて分かったが、日本には城跡が無数にある。当ブログでも数多くの城跡を紹介してきたが、私が今まで訪れたエリアの中にも、訪問していない城跡は多数ある。

 山城跡は、時間が経過すれば樹木に埋もれてしまう。我々が住む場所の身近にも、実は昔お城だったという場所があるものだ。

 日本は仏像の宝庫でもあるが、お城の宝庫でもある。