城郭

光恩寺跡 香音寺城跡

那岐神社からJR因美線那岐駅前に戻った。 那岐駅の東側にはトンネルがある。そのトンネルのある山上に、かつて光恩寺という禅寺があったという。 光恩寺のあった山 因美線那岐駅 那岐駅の木製改札 この那岐駅は、駅舎内に診療所があり、集落に住む住民の拠り…

矢筈城跡 後編

矢筈城跡を登るにつれて、雨脚が早くなってきた。傘を差しながら登山を続けた。 台風で警報が出る中の登山など、我ながら正気の沙汰ではないなと思ったが、逆に言うと片手で傘を差しながら登れるほど登りやすい登山道が続くのである。 大岩を過ぎてしばらく…

矢筈城跡 前編

JR知和駅の前の道から、矢筈城跡のある矢筈山を見上げることが出来る。 矢筈山は、標高約756メートル。この山上にある矢筈城跡は、全国の城跡の中でも、最も高地にある城跡である。 矢筈山 矢筈山は、巨大な山体を持つ山である。JR美作河井駅前には、矢筈城…

常山城跡

硯井天満宮の参拝を終え、県道405号線を西に走ると、行く手に児島富士の別名のある常山が見えてくる。 常山 常山は、標高約307メートルの低山である。この常山の山頂一帯に常山城跡がある。 常山城跡は、山頂の本丸を中心に合計14の曲輪で構成された連郭式城…

小串砲台跡 塩竈神社

静泰院の見学を終え、児島湾締切堤防の上を通って児島半島に上陸した。 児島半島は、古代は児島と言う島だったが、浅瀬の干拓が進み、今では地続きの半島となっている。 先ず訪れたのは、児島半島の北東端にある小串(こぐし)港である。地名では、岡山市南…

丹生神社 明要寺跡 後編

丹生神社の二の鳥居を過ぎて、境内に入っていく。 丹生神社二の鳥居 二の鳥居を過ぎると、石垣が見えてくる。 天正七年(1579年)、三木合戦の際、多くの僧兵を有した明要寺は、秀吉と対立する三木の別所氏側に付いた。 明要寺は秀吉軍の攻撃を受け、堂塔は…

丹生神社 明要寺跡 前編

箱木千年家から北東方面を見上げると、次なる目的地の丹生(たんじょう)神社が山頂にある丹生山が見える。 奥が丹生山 丹生山は、標高約515メートルの山で、帝釈山、稚児ケ墓山、花折山などと共に、丹生山系という山地を形成している。 丹生山史跡道しるべ…

竹田城跡 後編

二の丸から本丸に近づく。天守台の上が、この山で最も高い場所である。 本丸と天守台 本丸の西側から天守台に上がることが出来る。 天守台 天守台に登り四囲を見渡すと、まず目につくのは、南二の丸と南千畳の全景である。 南二の丸、南千畳の全景 このアン…

竹田城跡 中編

法樹寺の北側から竹田城跡への登山道が始まる。 赤松家の陣屋跡である法樹寺のすぐ側から始まるこの登山道は、赤松広秀も登った道だろう。 竹田城跡登山口 竹田城跡への登山ルートは、3通りある。駅裏登山路、表米神社登山路、山城の郷駐車場からの登山路で…

竹田城跡 前編

6月20日で、私の住む兵庫県に出ていた新型コロナウイルス感染拡大防止のための緊急事態宣言が終わった。 そのため、4月24日以来控えていた史跡巡りを再開した。 今日訪れたのは、久々に但馬である。スイフトスポーツで播但連絡道路を北上し、和田山ICで下…

柏原藩陣屋跡

追手神社の参拝を終え、丹波篠山市と丹波市の境を越え、丹波市柏原(かいばら)町に向かった。 この地は、明治まで柏原藩織田家が治めていた。この織田家は、あの信長の子孫の家である。 柏原町柏原には、柏原藩の政庁だった国指定史跡柏原藩陣屋跡がある。 …

美和山古墳群

高野神社の参拝を終え、国道179号線を挟んで北側にある美和山古墳群を訪れた。ここも津山市二宮になる。 美和山古墳群は、国指定史跡で、4~5世紀に築かれた古墳群とされている。 前方後円墳の1号墳と、円墳の2、3、6号墳の4つの古墳がある。 美和山…

神楽尾城跡 後編

馬場から南に行けば三の丸の遺構がある。 参考までに、馬場の説明板に掲示していた城跡の縄張り図を出しておく。 神楽尾城跡の縄張り図 神楽尾城は、永禄九年(1566年)以降、毛利方の城であったが、最終的に宇喜多直家の攻撃によって陥落した。秀吉の時代に…

神楽尾城跡 前編

沼弥生住居跡から西の方を見ると、津山市街の西側に聳える神楽尾(かぐらお)山が見える。 神楽尾山は、標高308メートルで、山上に土で築かれた戦国の山城、神楽尾城跡がある。 ここがなかなか印象的な城跡であった。 神楽尾山 上の写真の丁度真ん中の、少し…

岡山城 その4

今日は、岡山城の外周を紹介する。 岡山城の南側に、モダンな外観の岡山県立図書館がある。 岡山県立図書館 今岡山県立図書館の建つ場所は、かつては岡山城二の丸の一隅で、榎馬場と呼ばれる広場であった。ここで藩士の乗馬の練習などが為されたのであろう。…

岡山城 その3

中の段から不明門(あかずのもん)を通って、天守の建つ本段に向かう。 不明門 不明門は、表書院のある中の段と天守のある本段を結ぶ出入口だが、普段は閉まっていたそうだ。なので、不明門と言うらしい。 不明門は、明治に入ってから解体されてしまったが、…

岡山城 その2

岡山城の本丸は、本段と中の段で構成されている。天守が建っている最も高い場所が本段で、そこから一段低い場所が中の段である。 中の段には、岡山藩の政務が行われていた表書院があった。 表書院の復元模型 明治2年の版籍奉還により、岡山藩は消滅し、岡山…

岡山城 その1

岡山市のシンボルである岡山城。 日本城郭協会が、日本100名城というものを定めているが、私は今までの史跡巡りで、その内赤穂城、姫路城、明石城、津山城を訪れている。 岡山城は、私が訪れた5つ目の日本100名城に選定されたお城になる。 岡山城の天守は、…

兵庫城跡 大輪田泊の岩椋

神戸市兵庫区の大輪田橋の西詰から北に向かって、新川運河のプロムナードが続いている。 新川運河は明治時代に掘削された運河である。 新川運河 かつて運河の東側の中之島には、中央市場があったが、今はイオンモール神戸南店が建っている。 プロムナードは…

和田岬砲台 大輪田橋 清盛塚・琵琶塚

今までの史跡巡りで、幕末に築かれた舞子砲台と松帆砲台を紹介したが、神戸市兵庫区和田崎町1丁目の三菱重工業神戸造船所の敷地内にも、幕末に築かれた砲台の一つである和田岬砲台がある。 和田岬砲台を管理する三菱重工業神戸造船所は、海上自衛隊が使用す…

江埼灯台

松帆の浦の裏には、マナイタ山と呼ばれる低山が聳える。 マナイタ山 マナイタ山には、中世には城が築かれていたらしい。 マナイタ山城と呼ばれたが、誰がいつ築いたのか詳細は分かっていない。 天正年間に、織田と毛利がこの城を巡って争った。当時毛利は、…

松帆の浦

淡路島の最北端一帯の海岸は、松帆の浦と呼ばれている。 古来から、何度も和歌に詠まれてきた歌枕である。 松帆の浦 現在の松帆の浦の東側は、波が砂利に打ち寄せる自然の海岸であり、そこに立つと、明石海峡の対岸が指呼の間に見える。 松帆の浦を詠んだ有…

岩屋城跡 岩楠神社

絵島に渡る橋から南を眺めると、正面に三対山別名城山が見える。 三対山 三対山は、山というほどもない低山である。永正七年(1510年)に大内義興がこの山上に岩屋城を築いたとされている。 三対山への登り口は、麓の飲食店の駐車場にある。 岩屋城跡登り口 …

旧友井家住宅 親縁寺 岩尾城跡

石龕寺のある岩尾山から下りて、車を西に走らせる。 丹波市山南町野坂に移築保存されている旧友井家住宅を訪れた。 旧友井家住宅 旧友井家住宅は、元々は山南町阿草の集落に建っていた。友井家は、慶長年間(1596~1615年)から現代まで15代続く農家で、檜皮…

若桜鬼ヶ城跡

若桜の町の背後に聳える鶴尾山は、別名鬼山と言う。若桜町歴史民俗資料館から、その全貌を視界に収めることが出来る。 鬼山 鬼山の山上に、国指定史跡・若桜鬼ヶ城がある。 財団法人日本城郭協会は、日本100名城、続日本100名城を指定している。 今までのブ…

生野の変

文久三年(1863年)10月11日、尊王攘夷派の元福岡藩士・平野国臣、長州藩士南八郎(本名河上弥市)らは、いわゆる七卿落ちで長州に落ち延びた公卿の澤宜嘉を総帥に迎え、倒幕のため但馬国生野の地で挙兵する。 翌12日、志士達は生野代官所を襲撃し、無血占拠…

明禅寺城跡

恩徳寺の裏手にある操山の尾根上にあるのが、明禅寺城跡である。 山の全貌は、北側の百間川の河川敷辺りから目にすることが出来る。 明禅寺城跡のある操山 明禅寺城跡に行こうと思えば、山の北側の墓地を抜けて登る道を行くか、恩徳寺の北側の畑を抜けたとこ…

神戸市西区 太山寺 後編

太山寺境内の東側にある羅漢堂と釈迦堂の位置関係は、丁度神社の拝殿と本殿の位置関係に似ている。羅漢堂の奥に釈迦堂がある。 羅漢堂 羅漢堂は、正面に華頭窓と大きな唐破風を持つ寺院建築である。建立は江戸時代後期と伝えられる。 内部には、四天王像、十…

津山城跡 後編

表鉄門の跡を通過し、津山城跡の本丸跡に入る。広々とした空間が広がる。 本丸の空間 かつてこの本丸跡には、広壮な本丸御殿が建っていた。 本丸から、今まで登って来た城の石垣群を見下ろす。 眼下の石垣群 さて、本丸の南西隅に、平成17年に再建された備中…

津山城跡 中編

熱風が吹く中、津山城跡を散策する。 かつて表中門があった辺りは、広い石段を北東西の三方向から石垣が囲んでいる。 表中門跡 広い石段の左手にある石垣が、これまた見事な穴太積である。 穴太積の石垣 不揃いな形の石垣の組合せが、隙間のない緊密な石垣よ…