金川陣屋跡 武藤邸跡

 岡山市北区御津金川の町は、江戸時代を通して岡山藩の家老日置(ひき)氏の所領であった。

 日置氏は、金川に陣屋を置いて行政を司った。陣屋とは、所領3万石以下の大名や、大藩の家老、上級旗本が所領に置いた政庁のことである。

 3万石以下の大名は、幕府から城を持つことを許されなかったので、陣屋を築いて政庁とした。

 日置氏は、備前国赤坂郡、津高郡1万6千石を所領とした。

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陣屋町金川の鳥観図

 現在の岡山市役所御津支所が、日置氏が政庁とした金川陣屋跡である。

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岡山市役所御津支所

 現地には金川陣屋跡を示す説明板もモニュメントもないが、御津支所は、臥龍山を背後にして、旭川を前に控える場所に建っている。ここは要害の地だ。陣屋が置かれたのも肯える。

 御津支所は、臥龍山から出っ張ったかのような高台の上に建っていて、高台の南側と東側の側面が石垣で固められている。

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御津支所南側の石垣

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御津支所東側の石垣

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 この石垣は、金川陣屋時代のものだろう。

 金川陣屋の周辺には、武家屋敷が複数あったとのことだが、現存するものはない。

 ただ、御津支所の周辺の民家には、古い門を構え、板塀を張り巡らしていたり、土地の端に低い石積みを持っている家がある。

 ひょっとしたら、これが武家屋敷の名残ではないかと思った。

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古い門と板塀

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石積みのある民家

 陣屋町金川は、岡山と津山を結ぶ津山往来沿いにあり、金川から備中松山を結ぶ松山往来の出発地でもあった。

 また、旭川を往来する高瀬舟の川港でもあったため、江戸時代には街道沿いに商家が立ち並び繁栄した。

 金川の商家の中で、最も著名になったのは、天保年間(1830~1844年)に酒造業を起こした武藤家である。

 武藤家は、天保四年(1833年)に分家し、西武藤家と東武藤家に分かれた。

 御津金川の中心には、東武藤家の邸宅があったが、現在はその建物が改修され、「さかぐらKANAGAWA」という文化センター兼レストランとして公開されている。

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武藤邸跡

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武藤邸跡を示す石柱

 東武藤家は、三代目幾太郎の時代から酒造家として名をなしたそうだ。

 四代目奏太の時代には地方の素封家として繁栄し、吟醸酒「竹の露」「中国錦」を生産販売した。

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武藤酒造場の様子を描いた絵

 昭和24年に奏太が死去して、弟英二が跡を継ぎ、武藤酒造株式会社を立ち上げた。

 英二の後は英二の子の倫男氏が継いだが、平成5年に武藤酒造株式会社を廃業し、東武藤家の建物を御津郡御津町に寄贈した。

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武藤邸跡

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武藤邸跡の庭園

 かつて酒蔵だったと思われる黄土色の壁の建物は、1階がレストランになっていた。

 私はレストランに入り、早めの昼食を摂った。

 私は、レストランで昼食を食べ終わり、会計の時にレジの女子高生らしきアルバイト店員に、「2階を見学していいですか」と尋ねた。

 店員から「何もないですけど大丈夫ですか」と言われたが、「大丈夫ですよ」と答え2階に上がった。

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2階の和室

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建物を支える梁

 2階には和室と会議室、オープンスペースの3部屋があり、屋根を支える見事な梁が3部屋の上を貫いている。これが、いつの時代からのものかは分からない。

 日本の町の大半は、江戸時代に城下町や陣屋町として形成されたものである。

 金川もそうだが、町の片隅に残る何気ない石垣や町割りに、近世の生活の名残があるものである。