炬口(たけのくち)八幡神社の裏の万歳山上にあるのが、炬口城跡である。
炬口城は、永正二年(1505年)に安宅(あたぎ)監物秀興が築城したと伝わっている。安宅氏は、地元の国人である。
この城跡への登り口は、万歳山の東側にある事代主神社の北側の道を西に歩くと現れる。
舗装されたコンクリートの階段を登り切ると、登山口と書いた案内板がある。
ここから山道となるが、万歳山は、山と言うよりは丘陵と言ってよいような低山である。
城跡にはすぐに到達できる。
途中、印象的な巨木があり、その周囲に石垣がある。石垣の周りには、古い瓦の破片が落ちている。
この石垣や瓦が、炬口城跡のものかどうかは分からない。
石垣は低いので、城の遺構ではないだろう。
恐らくだが、かつてここに小さな神社があったのではないか。これらのものは、その神社の石垣と瓦であろうと思われる。
この石垣から南に向かって道が伸びている。左右は竹林である。
道は、途中起伏があるが、歩きやすい道である。しかしこの道を真っ直ぐ行っても城跡には到達しない。
途中、戎神社と秋葉山神社への方向を示した案内板がある。
案内板のある場所から道を真っ直ぐ南に歩くと秋葉山神社方面になる。私は当初間違えて真っ直ぐ歩いたが、どこまで行っても城跡が見えてこないので、一旦引き返した。
実はこの説明板から西に行く道がある。それが城跡への道である。
城跡への道を真っ直ぐ歩くと、高い切岸に行き当たる。ここが炬口城跡の本丸跡である。
この切岸に行き当たってから右に行くと、深い堀切がある。
切岸を左に回ると、炬口城跡入口と書かれた案内表示がある。
ここを右に入ると、炬口城跡の虎口がある。
この虎口から炬口城跡の本丸跡の主郭に入ることが出来る。
本丸跡は、北、東、南側が土塁で囲まれている。西側は崖になっている。
土塁は明瞭に認識できる。だが城内は木が鬱蒼と生い茂っていて、表示がなければここが城跡だと気づかない人もいるだろう。
大永八年(1528年)、炬口城主安宅秀益は、当時阿波、淡路を支配していた三好氏に叛旗を翻す。
しかし三好氏配下の諸将に攻められて炬口城は落城する。安宅氏は、三好長慶の弟冬康が養子に入って継ぎ、三好氏の傘下に入った。
安宅氏は、淡路水軍を率いた地元国人だった。
炬口城跡は、安宅氏が三好氏に屈服する前の、独立し意気盛んだった時代の名残として、今も山中にひっそりと残っている。