鴫尾山九品寺

 摩気神社の参拝を終えて更に北上し、南丹市園部町船阪大門にある真言宗の寺院、鴫尾山九品(くほん)寺に赴いた。

 九品寺は、弘仁元年(810年)に弘法大師空海が開基した寺と伝えられている。

九品寺

 その後、白河天皇の子、覚行法親王が伽藍を整備したが、中世の戦乱によって荒廃してしまった。

 大門と呼ばれる仁王門のみが残り、かつての様子を今に伝えている。

大門

 仁王門は、檜皮葺、入母屋造である。上層と下層の間に屋根がない楼門と呼ばれる様式である。

 江戸時代に修復されたが、昭和37年の修理の際に、創建当時の姿に戻された。

 鎌倉時代後期の様式を今に伝えているという。

仁王像

 仁王門には、一対の仁王像が安置されている。迫力ある仁王像だ。

 九品寺大門は、国指定重要文化財である。

 大門を潜って参道を歩く。参道脇に石造の観音菩薩立像がある。

参道

観音菩薩立像

 九品寺の本尊は、木造千手観音立像である。

 しばらく参道を登ると、右手に山門が見えてくる。

山門

 山門には、「白河天皇勅願道場」と書かれた札が掛けられている。

 山門の内部の敷地には、新しいお堂がある。今の本堂であろう。

本堂

 参道に戻ると、地蔵堂がある。これも新しい。やはり古い建物は、中世に焼けてしまったようだ。

地蔵堂

 さらに苔むした参道を歩く。参道左手に、船阪観音霊場と書かれた石碑と観音菩薩の石仏ある。

船阪観音霊場の碑

観音菩薩立像

 観音菩薩の宝冠には、阿弥陀如来像が刻まれている。観音菩薩は、阿弥陀如来の悟りの世界から、衆生を救うために敢えて修行者である菩薩の姿に身を窶して、娑婆世界に現れた仏である。

 ある意味、人間の生き方の理想の姿である。

 更に進むと、寺の境内の最奥に至る。

境内の奥

 右手の石段を登ると、金剛界大日如来を祀る大日堂がある。

大日堂への石段

大日堂

金剛界大日如来坐像

 境内の最奥には、九品寺中興の覚行法親王の陵墓がある。

覚行法親王の陵墓への石段

宮内庁の看板

 法親王は、出家した親王を指す。そのため、この陵墓は宮内庁が管理している。

覚行法親王の墓

 陵墓には、宝篋印塔が二基建っている。大きい方が覚行法親王の墓で、小さい方が白河天皇の供養塔であろう。

 九品寺を勅願所とした白河天皇の供養塔と、伽藍を再興したその子覚行法親王の墓塔が、寄り添うように建っている。

 仏道に思いを寄せた天皇親王の敬虔な気持ちが伝わってきた。