香音寺城跡から北上し、鳥取県八頭郡智頭町大字木原にある唐櫃城跡を訪れた。
唐櫃城跡は、標高299メートルの岩谷山の山上にある。とは言え、元々このあたりの標高が高いので、平地との実際の高低差は約60メートルほどである。
国道53号線沿いに唐櫃城跡と刻まれた石碑と案内板が立っている。木原橋を渡って土師川を越え、田んぼの中を唐櫃城跡に向かって歩いた。
途中田んぼの中に、宝篋印塔や石造五輪塔などを沢山集めた一角があった。
昔からこの辺りに散在していた石塔を、一箇所に集めたものだろう。こういう古い石塔を見ると、なぜだが優しい気持ちになる。
ここから岩谷山に近づく。
山に近づくと、登山口がある。
この登山口から山の方に入り、舗装路を数十メートル進むと、山に上がっていく細い山道がある。
山に入り、しばらく歩くと、道はいつしか横堀状の通路になる。
この道が、空堀として造られたのか、通路として造られたのかは分からない。
横堀状の通路をしばらく歩くと、大きな堀切に至る。その南側に、主郭に登る道がある。
この道を登ると、あっけなく主郭に到着する。
主郭の広さは、小さな体育館ぐらいはあろうか。
主郭から南側を見下ろすと、石碑のある曲輪がある。
南側の曲輪に下りて、主郭方面を見ると、なかなかの切岸だ。
唐櫃城跡の石碑は、昭和11年に建てられたものだ。
唐櫃城は、戦国時代初期の築城で、佐々木駿河守元信の居城と伝えられる。
永禄・元亀年間(1558~1573年)に、作州矢筈城の草苅伊賀守景継らに攻められ、落城した。
その後、草苅氏は天正十一年(1583年)頃まで、唐櫃城を淀山城(富貴谷城)と共に、因幡に対する重要拠点として使用したという。
石碑のある曲輪から更に南側には、もう一段曲輪がある。
今は木々に覆われているが、昔は南から望めば、曲輪が三段ある立派な山城の姿が目に入っただろう。
日本国内に、建物を含めて当時の姿を完全に復元した山城跡があるかは知らないが、当時の土と木で築かれた城の完全な姿を目にしたいものだ。