那岐駅の東側にはトンネルがある。そのトンネルのある山上に、かつて光恩寺という禅寺があったという。
この那岐駅は、駅舎内に診療所があり、集落に住む住民の拠り所になっている駅と感じた。
木製の改札もあって、なかなかレトロである。
那岐駅東側の山は、住民が比丘尼屋敷と呼ぶ光恩寺の故地である。
宋から来日した禅僧蘭渓道隆を祖とする仏燈派の寂室元光が、正平八年(1353年)に光恩寺を開創した。大正時代まで庵があったという。
しかし、光恩寺跡に至る道が判然とせず、寺跡に行く事はできなかった。
光恩寺のあった山の東側に、公園のような広場があり、そこに東屋があった。
東屋の屋根に宝珠のようなものが載っているので、ひょっとしたら地元の人が光恩寺を偲んで作ったものかと思った。
寂室元光は、この地で行住坐臥、純禅の道を実践した禅僧であったらしい。静かな山間部で禅の修行をするのは、実はとても贅沢なことなのかも知れない。
さて、光恩寺跡のある山の更に北東側の山は、城山と呼ばれていて、山上に香音寺城跡があるという。
しかし、現地に案内板もなく、登山路の入口も分からなかった。とりあえず城山に向かって歩くことにした。
先ほどの東屋のある公園から舗装路を東に歩くと、左手に山の方にあがる道があった。
ここを上ると、獣除けのフェンスがあった。
フェンスの扉を開けて先に進むと、因美線の線路とトンネルに行き当たった。
線路の先を線路沿いに東に歩き、墓地のあるところを左に曲がると、物置小屋があった。
物置小屋を左に曲がると、小さな祠がある。祠の傍から登山道が始まった。
この登山路を登って行くと、高さ2メートルほど人工的に盛り土された主郭に行きついた。登り口との高低差は約60メートルで、それほど苦労せずとも城跡に辿り着くことが出来る。
香音寺城は、地元国人の有本民部が拠った城とされている。その後、唐櫃城の佐々木氏の支城になったようだ。
主郭の上に上がると、石が並んで埋まっていた。建物の基礎か何かは分らぬが、人工的に配置された石だろう。
小さな山城を含めれば、日本にはいくつ山城があるのだろう。日本は古墳の国、仏像の国であると同時に城の国でもある。
特に土で築かれた古墳と山城は、手を加えずとも、あと1000年経った後も残っていることだろう。
訪れる人がいなくなって、由来も忘れられ、草木に埋まっても、その存在は消えることはないだろう。