平等寺の参拝を終え、兵庫県道470号線を北東に走り、兵庫県南あわじ市倭文安住寺にある真言宗の寺院、補陀落(ふだらく)山安住寺を訪れた。
もともと安住寺は、現在の安住寺を本坊として、東善坊、東光坊、東坊、大門寺、南坊の六坊を持つ大寺であった。
安住寺観音堂の周辺からは、奈良時代の布目瓦が時々見つかるなど、歴史の古さが偲ばれる寺である。
安住寺には、古くから蛇祭り(蛇供養)という行事が伝わっている。
毎年1月11日に、地元の人が稲わらで大蛇を作り、担いで地域を練り歩き、五穀豊穣、無病息災を祈る祭礼である。
本堂横の薬師堂には、室町時代初期の制作とされる檜材寄木造の木造薬師如来坐像が祀られている。
右手指の破損の他は保存状態がよい仏像である。台座は後補であるらしい。慈愛の表情に溢れたお薬師さまだ。
薬師如来坐像の左右には、千体地蔵がびっしりと安置されている。
境内には、観音菩薩を祀る観音堂がある。山号の補陀落(ふだらく)は、観音菩薩が降臨する霊場で、八角形の山とされる。
観音堂の中には護摩壇がしつらえられている。観音菩薩が祀られる厨子の前には、お前立ちの不動明王立像がある。
堂内が煤けていないところを見ると、ここでは護摩行はあまり行われていないようだ。
厨子の左右には、西国三十三所霊場の観音菩薩像を安置している。
最近私は、大法輪閣が出版した「曼荼羅図典」縮刷版を寝る前に読んでいる。
今は胎蔵曼荼羅の部分を読んでいるところだが、胎蔵曼荼羅の向かって左に蓮華部院(観音院)という様々な姿をした観音菩薩が描かれた部位がある。
曼荼羅は、人の本来の心の中の世界を描いたものだが、蓮華部院には、人の心の中にある慈悲の要素を描いているといっていい。
曼荼羅の右側にある、智慧を現わす金剛手院と対称となっている。
仏教的世界観では、この世界は人の心が描き出した幻像のようなものだとされるが、逆に言うと、全ては自己の心の中に納まっていることになる。
観音菩薩が降臨する補陀落も、自分の心の中を置いて他にはないのである。
西国三十三所霊場も、四国八十八ヵ所霊場も、とどのつまりは自己の心の中に納まっているのである。人は霊場巡りの果てに、そのことに気づくのだろう。
密教は、自分の中にある宝庫を開ける修法とされているが、実は自分の心の中に、世界中の金銀財宝を集めても及ばぬ無限の宝蔵が眠っているのである。
安住寺の周辺からは、縄文時代早期の土器などが見つかっている。この辺りは安住寺遺跡があった場所である。
安住寺集落からは、1万年前の石器や流水文の入った銅鐸も出土している。
長い長い年月に渡り、この地で人は生活してきたのだ。