因幡国庁跡

 十王峠からUターンして、鳥取市国府町中郷にある因幡国庁跡を目指した。

 その手前の国府町庁の集落の中に、大伴家持(やかもち)の歌を刻んだ歌碑がある。

万葉歌碑

 大伴家持は、大伴旅人(たびと)の息子で、「万葉集」に多くの和歌を残した同集を代表する歌人である。

 家持は、天平宝字二年(758年)六月に因幡国司となり、因幡国庁に赴任した。

 今でいう県知事が県庁所在地に赴任したようなものである。

 その翌年の元旦に、家持は国庁で行われた新年の宴で、集まった郡司たちに向けて、次の歌を贈った。

大伴家持の歌碑

新しき 年の始めの 初春の 今日降る雪の いや重(し)け吉事(よごと)

 歌意は、「新しい年の始めの、初春の今日(一月一日)、次々と降っては積る雪のように、今年も良いことが重なりますように」という、新年を祝うめでたい歌である。

 この歌は、第21代雄略天皇の「こもよ みこもち ふくしもよ・・・」で始まる「万葉集」の最後を飾る4516首目の歌である。

 この目の前がぱーっと明るくなるようなめでたい歌で「万葉集」が締めくくられていることで、「万葉集」全体のイメージが非常に明るいものになっている。

 「万葉集」の編者が誰かは分からぬが、この歌を最後に持ってきたセンスには脱帽する。

佐々木信綱の歌碑

 家持の万葉歌碑の向かって右には、明治時代の歌人佐々木信綱が家持の歌を誉めあげた、

ふる雪の いやしけ吉事 ここにして 歌いあげけむ 言ほぎの歌

が刻まれた歌碑がある。

 日本で最初に和歌を詠ったのは、須佐之男命と言われているが、和歌は、古くから日本人が、自らが抱いた感懐を短い文字に連ね、節をつけて歌った短詩である。

 天平宝字国司の言祝ぎの歌を、明治の国文学者が賛美する歌を詠う。時代を超えた心の交流がここにある。和歌は我が国の国民文学である。

 さて、家持の歌碑の近くには、在原行平の歌碑がある。

在原行平の歌碑

 在原行平は、在原業平の兄だが、大伴家持因幡国司になった約100年後の斉衡二年(855年)に因幡国司に任命された。

 行平は、その4年後の天安三年(859年)に、国司の任を解かれ帰京した。歌碑には、その時に行平が詠ったとされる、

たちわかれ いなばの山の 峰におふる まつとしきかば 今帰りこむ

という歌が刻まれている。「百人一首」にも採用された歌だ。

 歌意は、「別れても、稲葉山に生える松のように、待っていると聞いたならば、今すぐにでも帰ってこよう」というものである。

 任地を離れ帰京する行平との別れを惜しむ現地の人々を励ます歌だろう。

稲葉山

 歌碑の向こうには、歌枕である稲葉山が見える。

 さて、歌碑から国府町中郷の田の中にある因幡国庁跡に赴いた。

因幡国庁跡

 因幡国庁は、律令制が始まった奈良時代初頭から鎌倉時代まで存在した、因幡国の政庁である。

 天皇から任命された国司が国庁に赴任し、国の行政を執り行った。

 鎌倉時代には、幕府によって国の警察権を取りしきる守護が各国に置かれ、国の税収の半分を「治安維持費」の名目で持っていくようになり、国司の権限は有名無実化した。各地の国庁も鎌倉時代には消滅していった。

 因幡国庁跡は、昭和47年に始まった発掘調査で確認された。今では公園として整備されている。

発掘された正殿の跡

 昭和47年の調査により、正殿、後殿、南門の跡が確認された。また柵列や井戸跡、石敷きなども見つかった。

南門跡

 南門は、国庁跡の南限である。建物の大きさは、東西23メートル、南北12メートルで、北側には明瞭な縁石や雨落ち溝が残っていたという。

 今は柱跡を御影石の円柱で、建物の規模を盛り土で表している。

南門跡から正殿方面を望む

 南門から北に約80メートルの位置に、国庁の中心となる建物である正殿の跡がある。

正殿跡

 正殿は、桁行五間、梁間四間の建物で、直径約30センチメートル以上の檜の柱が使用されていた。

 正殿は、国司が政務や儀式を行った場所である。

 正殿の北側には、桁行五間、梁間二間の後殿の跡があった。

後殿跡

 後殿は、国庁の職員が、日常的な業務を行った場所とされている。

 また、因幡国庁跡の東側の田んぼは、中世の寺である大権寺廃寺があった場所で、瓦などが発掘された。

大権寺廃寺跡

 因幡国庁跡は、広く眺めの良い鳥取平野の真ん中に位置している。

 この広々とした景色を見て、開放的な気分になった。

 かつて大伴家持が、天平宝字三年(759年)一月一日に宴を開いた正殿跡の前に立って、1264年前に家持が詠った歌を口ずさんでみた。

 「新しき 年の始めの 初春の 今日降る雪の いや重け吉事」

 私が因幡国庁跡を訪れたのは10月30日で、まだ新年には程遠かったが、歌に宿る言霊の力で、これから吉事が積み重なっていくような、明るい気持ちになった。