3月17日に、丹波の史跡巡りを行った。訪れたのは、京都府南丹市園部町と京都府船井郡京丹波町の史跡である。
国道372号線を東に向かって走り、兵庫県から京都府に入った。
京都府に入ってすぐに、右折南下して瑠璃渓への道を行く。瑠璃渓の手前の南丹市園部町大河内にある大山祇(おおやまづみ)神社を訪れた。
社伝によれば、この神社は、天暦三年(949年)に藤原純友の弟の純索が、熊野権現を勧請して祀ったのが始まりとされている。
文中三年(1374年)に、楠木正成の弟の楠木正季が社地を現在地に改めたという。
参道を歩いていくと、右手の石垣の上に立派な山桜が生えている。
この石垣のある場所は、明治8年に開校した大河内分教場の跡地である。
私が訪れた3月17日の丹波はまだ肌寒く、山桜は咲いていなかった。もう少し訪問が遅ければ、美しい山桜を眺めることが出来ただろう。
参道を進むと、鳥居があり、更に進むと縹渺とした空気の漂う境内が見えてくる。
大山祇神社の本殿は、応永二十六年(1419年)に、大河内村に住んでいた楠木家の後裔下村義親、田井義高が再建したものであるという。
応永二十六年(1419年)に棟上げされた本殿は、一間社流造、杮葺で、銅板葺の覆屋に覆われている。
朱塗りの華麗な柱と白壁で構成されている。
現在の祭神は、素戔嗚尊、伊弉諾尊、伊弉冉尊の三神であるが、江戸時代には祇園牛頭天王、熊野三所権現、金峰蔵王権現が祭神とされていたそうだ。
仏教や修験道の影響が色濃く現れた神社であった。
本殿正面を見ると、三座に分かれている。三柱の祭神がそれぞれに祀られているのだろう。
屋根の杮葺は、最近修復されたのか、崩れずに残っている。
職人技で修復された、見事な屋根である。
杮葺きの屋根の上には、鬼板と呼ばれる箱棟が載せられ、その端に鬼面の彫刻が貼り付けられている。大変珍しいものである。
大山祇神社本殿は、中世の神社建築の様式を残す貴重な遺構として、国指定重要文化財となっている。
大山祇神社の鎮座する場所は、丹波の中央と言ってよい山中にある。
神の息吹を感じる場所であった。