誓願寺の境内には、そう古くはないが立派なシンパク(イブキ)がある。
なかなか樹勢のある良木である。
このシンパクの奥に、庭園があり、その上に阿弥陀堂が建つ。阿弥陀如来立像を祀っている。
唐破風の下には獅子の彫刻があるが、裏側もきっちり彫られた名品である。
手挟みの彫刻も、鳳凰が細部までよく彫られている。
阿弥陀堂の内部は、阿弥陀如来立像を中心として、その左右に諸仏を描いた掛け軸がかけられ、その左右に梵字で諸仏諸尊を表した法曼荼羅が掛けられている。これぞまさに密教空間と言うべき空間である。
阿弥陀如来立像の右手には、五色の紐が結び付けられている。この紐が鈴索に結ばれていて、鈴索を握った参拝者と阿弥陀如来との間に縁が結ばれるようになっている。
阿弥陀如来は、前回の記事で書いたように、人々を自分の人生から解放する存在である。
阿弥陀如来の向かって右に大悲胎蔵生曼荼羅、左に金剛界曼荼羅の掛け軸がかかっている。
蓮華台上の梵字一字一字が、諸仏諸尊を表している。真言密教では、梵字は仏が発する真実の文字であり、この文字の中に深遠な哲理を含んでいると説いている。
大悲胎蔵生曼荼羅は、法身仏大日如来が様々な姿で発現してこの宇宙を形成しているという、この世界の存在の態様を表している。真言密教の理の側面を表現している。
金剛界曼荼羅は、発心から涅槃に至る修行者の九段階の心の階梯を表している。真言密教の智の側面を表現している。
阿弥陀堂の壁には、真言宗で伝持の八祖と呼ばれている、密教を伝えた8人の祖師像が掛けられている。
真言密教の経典は、ほとんどが大日如来が金剛薩埵(さった)に真理を説くという形で書かれている。
大日如来も金剛薩埵も歴史上の存在ではないが、それ故時空を超えた存在である。
つまり、大日如来が金剛薩埵に教えを説いているという出来事は、遠い過去から遥か未来まで延々と続いている出来事であり、教えを求める現代の我々の心の中でも行われていることなのである。そうとすれば、大日如来も金剛薩埵も、実は自分自身であることが明らかになる。
第一祖龍猛(りゅうみょう)菩薩は、南印度の南天鉄塔で、金剛薩埵から密教を授かったとされる伝説上の人物である。
第二祖龍智菩薩は、龍猛菩薩から教えを伝授されたという。ここまでは、伝説上の存在である。
第三祖金剛智三蔵は、印度出身の僧侶で、龍智菩薩から密教を学び、唐に渡って「金剛頂経」を伝えた。金剛智からは歴史上実在の人物である。
第四祖不空三蔵は、西域(中央アジア)出身の僧侶で、長安で金剛智から「金剛頂経」系密教を授かり、「金剛頂経」を漢語に翻訳した。
第五祖善無畏(ぜんむい)三蔵は、印度出身の僧侶で、唐に渡って「大日経」を漢訳した。
第六祖一行(いちぎょう)阿闍梨は、中国出身の僧侶で、善無畏三蔵に師事し、「大日経」の注釈書「大日経疏」を執筆した。
「金剛頂経」を絵で表したのが金剛界曼荼羅であり、「大日経」を絵で表したのが大悲胎蔵生曼荼羅である。
長安の僧侶の第七祖恵果(けいか)和尚は、不空三蔵と善無畏三蔵から「金剛頂経」「大日経」の両部の密教を学び、統合大成した。恵果和尚は、唐の皇帝も帰依した高僧である。
第八祖弘法大師空海は、我が国から唐に渡り、長安の青龍寺で恵果和尚に師事し、両部の密教の全てを伝授され、日本に持ち帰った。
印度と中国では密教は滅んだので、正系の密教は、空海のおかげで日本に残ることになった。
先ほど書いたように、密教の世界は、実は心の中で展開されている。ここで言う心とは、個人の内面という狭い概念ではなくて、この宇宙の心とでも言うような広いものである。
個人であっても、宇宙の心を自分の心とすれば、実は自己の心の中で今の瞬間も大日如来が金剛薩埵に教えを不断に説いていることが分かってくる。「大日経」の冒頭に出てくる、大日如来が金剛薩埵に教えを説いているとされる如来加持広大金剛法界宮は、実は自己の心の中にあるのである。どんな壮大で煌びやかな寺院も、自己の心の中の金剛法界宮には敵わないのである。
真言八祖が教えを伝承してきたのも、実は自己の心の中の出来事と変わらないのである。
こうして大日如来は、時空を超え、姿や形を変えて、この世界が実体がない虚空に等しいものであることを不断に説いているのである。
さて、誓願寺の西隣には、誓願寺の鎮守と思われる妙見宮がある。
妙見宮には、北極星を神格化した妙見大菩薩が祀られている。これも仏法の守護神である。
心の中の金剛法界宮を、きっと今も妙見大菩薩がお守りして下さっていることだろう。