小瀬石鎚神社の参拝を終えて、不動山から下り、小豆島西端の県道をレンタサイクルで南に走る。
海の先には、屋島が手が届きそうなほど近くに見える。
県道を南下すると、香川県小豆郡土庄町千軒の集落に入る。集落の東端の山裾に、大坂城石垣石切千軒丁場跡がある。背後の山は、大深山である。
ここも江戸時代初期に大改築された大坂城の石垣用石材の石切場であった。小瀬原丁場跡と同じく、肥後藩加藤家が石切を采配した丁場跡である。
千軒という地名は、石工小屋が千軒もあったことから名づけられたという。
今では残石はほとんど残っていない。僅かに種石やそげ石が残っているに過ぎない。
説明板の前に、最近まで畑の石垣として使われていた大きな矢孔が付いた石がある。
この石も当時の貴重な資料である。
さて、千軒からさらに東に走り、土庄町鹿島甲にある鹿島明神社に赴いた。
鹿島明神社の前身は、平安時代に書かれた「備前国神明帳」に賀嶋明神と記載された神社と言われている。
昔は小豆島は備前国児島郡に属していたが、貞和三年(1347年)に讃岐国守護の細川師氏が占領してから、讃岐国に編入された。
しかし一般に小豆島が讃岐の一部と認められるようになったのは、宝永年間(1704~1711年)のころだそうだ。
明治28年に旧本殿を北に移築する際に発見された和鏡の池辺松藤双鳥鏡は、鎌倉時代に制作された鏡で、現在土庄町指定文化財となっている。
手水舎の脇には、丈高いイブキの古木があった。幹のこぶが面白い。
鹿島明神社の祭神は、天孫降臨の際に国つ神を降伏させた武神の武甕槌(たけみかづち)神である。
鹿島さんの総本社である常陸国の鹿島神宮から勧請されたのだろう。
ところで鹿島明神社は、「からかい上手の高木さん」というアニメによく登場する神社で、アニメファンは「聖地」として訪れるのだという。
社殿には、アニメの絵などが飾られている。
私が参拝していた時も、ファンと思われる男性3名が境内で談笑していた。
神社がアニメと関連付けられるなど、昔の人は想像もしていなかったろうが、これはこれで面白い現象である。
一見古ぼけて見えるものも、視点を少し変えてみると、実に清新に見えてくることがある。
文学や絵画や彫刻や建築や芸能などの日本文化も、古いものを新しいものに接合して、今まで更新されてきたのである。
逆に言うと、新しいものの中に、実は古いものが息を潜ませていることもあるのだ。