浄源坊の参拝を終えて、レンタサイクルで香川県道253号線を北上する。
香川県小豆郡土庄町伊喜末(いぎすえ)にある伊喜末八幡神社に参拝した。
伊喜末八幡神社は、海抜約50メートルの丘の上に建つ。丘の南側には、祭りのときに見物客が利用する桟敷がある。
桟敷の南側に広場があり、広場の南端に鳥居がある。
また、広場の西側にも鳥居がある。
祭りの際は、この広場で祭礼行事が行われるのだろう。
桟敷は、富丘八幡神社ほどではないが、石垣で築かれた立派なものである。
まるで城塞の石垣のような威容である。
桟敷の裏側に、丘の上の神社に登っていく道がある。
丘に登る途中、下を見下ろすと、桟敷と広場が見渡せる。
ここで行われる神社の祭礼行事を見てみたいものだ。
参道を登っていくと、すぐに境内に至る。
ところで、伊喜末八幡神社の社叢は、香川県指定天然記念物になっている。
丘を覆う樹木の大半はウバメガシである。林床はヒトツバに占められている。
ウバメガシで覆われた伊喜末八幡神社社叢は、瀬戸内乾燥地帯の海岸植生の典型的なものとして、学術的価値が高いそうだ。
境内に伊喜末八幡神社社叢の碑があり、近くにウバメガシが植えられていた。
さて、伊喜末八幡神社の創建は、延長四年(926年)で、応神天皇の御幸したこの地に、石清水八幡宮から祭神を勧請したのが始まりである。
祭神は応神天皇こと品陀和気(ほむだわけ)命、神功皇后こと息長足姫(おきながたらしひめ)命、応神天皇妃の仲姫(なかつひめ)命である。
毎年10月13日に行われる神幸祭では、三柱の祭神を乗せた神輿が村内や境内を神幸する。
応神天皇は、今でも日本中の八幡神社の祭りで、神輿に乗って練り歩く。そう思えば、応神天皇はまだ生きているとも言える。
伊喜末八幡神社の参拝を終え、県道253号線を更に北上し、小豆島の北岸に至る。
土庄町長浜にある長浜貝塚の跡を訪れた。
長浜貝塚は、長浜墓地のピラミッド型の無縁仏の墓石群の隣、大きな蘇鉄の木あたりにあった。
長浜貝塚の碑の北側には県道が通り、その北側は砂浜である。
弥生時代には、砂浜が更に南に広がり、今の県道と長浜墓地のあった辺りまで砂洲になっていて、砂洲の中央に直径約30メートルの貝塚が形成された。
長浜貝塚からは、貝殻、獣骨、角の他、数点の後期縄文土器、高坏を含む多数の弥生式土器、須恵器、人骨、くり舟、櫂などが見つかった。
特に祭祀用の弥生式高坏は、香川県での出土例は稀であった。
また、くり舟は、丸木を金属器でくり抜いて作られた舟であった。弥生時代の漁船と思われる。
長浜貝塚跡の前には、穏やかな瀬戸内海が広がっている。
弥生時代に、くり舟に乗った人々が、この海で漁をしていたことだろう。
その人たちの血も、今の日本人の一部に残っていることだろう。
目前の瀬戸内海を眺めながら、遥か古えから現在まで続く人々の生業の積み重ねを思った。