岡山県苫田郡鏡野町の北西部に位置する富地域は、1000メートル級の山々に囲まれた自然豊かな地域である。
前回紹介した布施神社は、この地域の精神的な拠り所となる大切なお社である。
富地域の中心は、富西谷の富振興センターの辺りになるが、富振興センターの隣に、旧富村字大から移築された旧森江家住宅が建っている。
旧森江家住宅は、17世紀後半に建築された民家で、岡山県下に現存する民家の中では最も古い。
茅葺入母屋造りで、桁行七間、梁間三間のどっしりした民家である。
平日は公開されているが、土日祝日の見学には事前の予約がいるようだ。中に入って見学することは出来なかった。
柱は全て栗材で、手斧仕上げがしてあるそうだ。
説明板によれば、建物内正面に土間があり、土間の下手に厠、炊事場、物置がある。
土間の上手に梁間一杯の居間があり、その奥に座敷と寝室がある。居間は一番広い部屋で、囲炉裏が中心にあり、生活の場となっていた。
旧森江家住宅は、国指定重要文化財である。
私が訪れた時は、茅葺の屋根の上に雪が残っていて、屋根から雪解け水が滴り落ちていた。
土壁には藁が練りこまれている。自然の素材で作られた民家である。昔の人は、自然の素材に包まれて生きていた。
さて、旧森江家住宅の隣には、富地域で昔行われていたたたら製鉄の資料を展示するたたら展示館がある。
たたら展示館も休館であった。ここには、鍛冶屋谷たたら遺跡から発掘された遺物などを展示しているらしい。
ここから白賀川沿いに北上すると、白賀渓谷がある。
白賀渓谷は、岡山県指定天然記念物のヤマセミ生息地で、その他にも、国指定特別天然記念物のオオサンショウウオ、国指定天然記念物のヤマメの生息地でもある。
「日本文徳天皇実録」に、斉衡三年(856年)に美作国から朝廷に白鹿が献上されたという記事がある。朝廷は、その嘉祥なるをもって、翌年元号を天安に改め、苫田郡の調(税)を免じたそうだ。
白鹿が現れた地がどこかは分かっていないが、白賀の地名と、白賀山に鹿が数多く生息していることから、昔から地元の人はこの地を白鹿が現れた地と言い伝えてきた。
白賀渓谷に白鹿発祥の地の石碑が建てられていた。鏡野町指定史跡になっている。
さて、富振興センターの北西約5キロメートルに、のとろ原キャンプ場があるが、キャンプ場の敷地の奥に、鍛冶屋谷たたら遺跡がある。
しかし遺跡への道が、昨日の雪に覆われていた。15センチメートルは積雪している。
一瞬足を踏み入れるかどうか戸惑った。
しかし、折角ここまで来たのだし、取り敢えず行ってみようと覚悟を決めて歩き出した。
先人の足跡を踏みながら歩いたが、すぐに雪に足がとられた。足が雪にはまると、スニーカーの中がたちまち水浸しになった。
それでも歩いていくと、杉林の中に段々畑のように整地された土地が見えてきた。
これらの削平地は、鉱山事務所である元小屋や、坑夫の住居が建っていた土地の跡である。
この更に奥には、高殿、砂鉄置き場や金池などの遺跡があるようだが、何の装備もなく、雪に足を取られながらの歩行では、ここまでが限界であった。
近世には、美作地域のたたら製鉄は盛んであったらしい。明治に入って、洋式の製鉄方法が普及すると、たたら製鉄は行われなくなった。
生産性の向上と共に、時代遅れとなった仕事はなくなっていく。昔の職場の跡は、遺跡になる。
これからAIやロボットの普及で、なくなる仕事もあるだろうが、新たに生み出される仕事もあるだろう。
我々が当たり前のように不滅の存在だと考えているオフィスも、いずれ前時代の史跡として扱われる時が来るかも知れない。