岩井滝から南東に進み、国道482号線に出る。
国道482号線は、かつて因幡道と呼ばれた。国道482号線を東進すると、岡山ー鳥取県境にある標高785メートルの辰巳峠に至る。ここを越えると、因幡である。
因幡に入り、国道482号線を更に東進すると、佐治谷と呼ばれる地域に至る。
佐治谷については、令和3年9月20日の当ブログ記事で紹介した。
佐治谷を旅した時、このまま西進して岡山県境の辰巳峠まで行こうかと思ったが、かなり距離があったので諦めた。
あれから約2年、反対の岡山県側から辰巳峠に到達することが出来た。継続は力なりとつくづく思う。
鳥取県側から岡山県側を望む場所に、「辰巳峠」と刻まれた石碑がある。
日本は峠の多い国だ。私はこれからも沢山の峠を訪れることになるだろう。
さて、国道482号線を西進すると、昭和3年に完成したバットレス(扶壁)ダムの恩原ダムがある。
バットレスダムとは、格子状の扶壁により、水を堰き止める遮水壁を支える構造のダムである。
コンクリートの使用量が少なくて済む反面、遮水壁が薄くなるため、温度変化による損傷を受けやすく、維持管理費がかかるというデメリットがある
恩原ダムは、日本に9ヶ所しかないバットレスダムの一つとして、貴重な近代化遺産とされている。
ダムの畔に、恩原ダムや平作原(へいさくばら)水路、遠藤水路の建設工事で傷病死した人たちを追悼する石碑があった。
古いダムの脇には、大概このような慰霊碑がある。当ブログでは、なるべくこういった日本の近代化に尽くして亡くなった無名の方々の碑を取り上げていきたい。
恩原ダム(恩原貯水池堰堤)が吉井川を堰き止めることで形成されたのが、恩原湖(恩原貯水池)である。
雨上がりの恩原湖は実に美しかった。
この恩原湖の付近からは、旧石器時代の遺跡が10ヵ所見つかった。岡山県指定史跡の恩原遺跡群である。
恩原ダムの東側に、遺跡の発掘跡と、遺跡の説明板の立つ場所がある。
人間の生活の痕跡が残された地層を文化層というらしい。
恩原1、2遺跡からは、5層の文化層が見つかったが、最も古いもので、約3万年前の文化層があったという。
恩原遺跡群からは、日本最古の石組の炉の跡が見つかった。
日本列島に遥か昔にやってきて定住した人々の生活の跡が、このような高地に残っているのだ。
当時はまだ日本にナウマンゾウがいた。恩原遺跡の辺りに住んでいた人たちは、定めしナウマンゾウを狩っていたことだろう。
恩原ダムから下流の入発電所までの昭和初期に建設された36ヶ所の水力発電施設は、平成18年に、「平作原発電所恩原貯水池堰堤・余水路」として国登録有形文化財となった。
文明を最も端的に現わすものは、電気だろうと思われる。現代人にとって、電気のない生活は考えられない。
スイッチを入れれば、望むときにすぐに明かりや熱や力を得られる電気こそ、文明を象徴している。
思えば、旧石器時代の遺跡と、近代の発電に関する遺産が併存する恩原は、なかなか興味深い地域である。