土庄町ところどころ

 土庄郵便局の東側には、永代橋という橋が架かっている。

 この橋は、小豆島本島と、本島の南西側にある前島を結んでいる。

永代橋

 この永代橋の下を通っているのが、ギネスブックで世界一狭い海峡と認定された土渕海峡である。

永代橋と土渕海峡

 土渕海峡は、小豆島本島と前島を隔てている海峡で、長さ約2.5キロメートル、最も狭い永代橋の辺りで幅9.93メートルである。一見すると、川にしか見えないが、これが海峡なのである。

土渕海峡の位置

 海峡の上には、遊歩道が建設されていて、この世界一狭い海峡の上を散策することが出来る。

土渕海峡と遊歩道

遊歩道の北の土渕海峡

 土渕海峡を渡って土庄町役場に行くと、土渕海峡の横断証明書を発行してくれるそうだ。

 土渕海峡の西側にある土庄町住民環境課の敷地の一角に、土庄町指定文化財である永代橋の石灯籠が残っている。

永代橋の石灯籠

 現在の土渕海峡は、両岸がコンクリートで護岸整備されているが、昭和30年頃までは永代橋の辺りまで深い入江になっていた。

 入江は土庄湊と呼ばれ、渡船や漁船のたまり場であった。

 それらの船の航海の安全のため、文化九年(1812年)に小豆島産の花崗岩で作られ、永代橋の南東側に設置されたのが、この石灯籠である。

永代橋の石灯籠

 それ以来、電灯が点くまで地元の人々が当番制で石灯籠に火を灯し、航海の目印とした。

 今石灯籠がある場所は、永代橋の西側である。土庄湊の護岸工事に際して場所を移転したのであろう。

 土庄町甲には、土庄町役場と土庄町立中央図書館がある。

土庄町中央図書館

 中央図書館には、郷土関係図書の他に、慶長年間(1596~1615年)、天保年間(1830~1844年)の小豆島絵図などの諸資料を保存しているそうだが、閲覧には事前申請が必要だそうだ。

 土庄町役場の東側には、小豆島カトリック教会がある。

小豆島カトリック教会

 ここには、キリスト教伝来記念碑とキリシタン武将の高山右近銅像がある。

 天正十四年(1586年)七月二十三日、小豆島を統治していたキリシタン大名小西行長の懇願により、イエズス会グレゴリオ・デ・セスペデス神父と修道士ジアン森が来島し、島民にキリスト教を宣教した。

小豆島カトリック教会

ステンドグラス

 これにより、1400名の島民がキリシタンとなった。

 ところが翌天正十五年(1587年)、スペイン、ポルトガルによるキリスト教布教を通じた日本侵略を危惧した秀吉は、伴天連追放令を出した。

 信長、秀吉の家臣で、摂津高槻城主だったキリシタン高山右近も、秀吉から棄教を迫られたが、棄教を拒み改易された。

 行き場を失った右近は、小西行長領だった小豆島に逃れてきた。

小豆島カトリック教会と高山右近銅像キリスト教伝来記念碑

 行長は高山右近をしばらくの間かくまった。

 その後右近は前田利家に仕えたが、慶長十九年(1614年)に家康により国外追放され、マニラに逃れ、そこで没した。

 小豆島カトリック教会は、島へのキリスト教伝来と、高山右近の来島を記念し、石碑と銅像を建てたのだろう。

高山右近銅像

キリスト教伝来記念碑

 スペイン・ポルトガルが植民地にした中南米は、ほとんどがカトリックの文化圏になっている。

 当時の日本がキリスト教を際限なく受け入れていたら、日本は中南米やフィリピンのようなカトリック文化圏になっていたかも知れない。

 そうなると、日本の神社仏閣も、皇室も、なくなっていたかも知れない。

 秀吉も家康も、日本は神儒仏の三教の国で、キリスト教はこの三教の敵であると位置づけた。

 神儒仏の文化とカトリックの文化に優劣はつけ難いと思うが、私は文化というものは一つの物語であると思う。

 文化や信仰を受け入れるというのは、一つの物語を受け入れることに近いと思われるのだ。

 カトリックを受け入れるということは、キリストの受難と贖罪の物語、カトリック教会がキリスト教団の後継者だという物語を受け入れることだろう。

 物語の受容は宗教に限らない。共産主義は、階級闘争史観という物語を受け入れるところから始まる。

 大日本帝国は、天壌無窮の神勅と万世一系天皇が統治する日本という物語から成り立っていた。

 今アメリカのトランプ元大統領は、偉大なアメリカの復活という物語を語って支持者を集めている。

 一つの物語を受け入れると、他の物語は異質なものとなる。ここに文化の対立が生まれる。

 いま世界で起こっている戦争や紛争も、異なる物語を受け入れている者同士の対立である。

 人間の共同体が物語を語る以上、共同体同士の対立はなくならない。

 だが人間は、自分が何らかの物語の中で生きていると思うと、居心地よく思い、心に平穏を感じるものである。

 対立をなくすには、物語という文脈を離れて世の中を見るという視点が必要だろうが、そんな世界は実に索漠としたものになるだろう。