国指定重要文化財の表大門の前には、梅宮(うめのみや)神社がある。
梅宮神社の祭神は、酒解(さけとけ)神である。娘の木花咲耶(このはなのさくや)姫の安産を祝って、日本で初めて酒を醸したことから、酒造りの神様とされている。
梅宮神社には、嘉永四年(1851年)までは社殿がなく、神木をお祀りするという古い信仰の形を残していたそうだ。
南門を入ったところには、「あらえびすさま」と呼ばれて尊崇されている沖恵美酒神社がある。
元々西宮市荒戎町に祀られていたが、明治5年にこの地に遷座した。
室町時代の文書には、たびたび「西宮荒夷社鳴動」と記されているという。霊験あらたかな社とされてきた。
大和の談山神社の裏にある、藤原(中臣)鎌足の埋葬地とされる御破裂山は、天下に異変があると鳴動するという。
沖恵美酒神社も、天下の異変を人々に知らせてくれているのだろうか。
西宮で西宮神社に並ぶ有名な神社と言えば、大社町にある廣田大社である。
西宮神社の境内には、その廣田大社の摂社である南宮神社がある。
南宮神社は、「濱南宮」とも呼ばれ、平安時代には貴族が多数参詣したという。祭神は、豊玉姫神である。
平安時代末期の流行歌今様を後白河法皇が集成した「梁塵秘抄」には、「濱の南宮は、如意や宝珠の玉を持ち」という歌が収められている。
神功皇后が豊津浦で得た廣田大社の神宝・剣珠は、元々南宮神社に祀られていたという。
境内を奥に進んでいくと、林の中に残る塚を祀った庭津火神社がある。
庭津火神社の祭神は、奥津彦神、奥津比女神である。拝殿の奥にある塚と、それを取り巻く林が神体なのであろう。
西宮のような都会の中に、こんな原始的な信仰の形が残っているのが好ましい。
境内の西側には、松尾神社がある。
松尾神社には、酒の神・大山咋神、航海安全の神・住吉三前(すみよしみまえ)大神、道案内の神・猿田彦神を祀っている。
寛政三年(1791年)に当地の酒造家一同により建てられたという。
神明神社は、豊受比女神を祭神とし、元は大坂奉行所西宮勤番所に祀られていたが、明治6年に現在地に遷され、稲荷大神が合祀された。
今では、お稲荷さんとして信仰を集めている。
松尾神社や神明神社の奥には、兵庫県天然記念物であるえびすの森が広がっている。
えびすの森は、西宮神社の社叢である。
日本の神社は、必ずと言っていいほど鎮守の森と呼ばれる森林の中に建てられている。
都会の神社の中には、鎮守の森を失ったところがあるが、兵庫県の都心部に建つ西宮神社にはえびすの森があり、生田神社には生田の森が残されている。
こうした森林そのものや山や滝を神として祀ったのが、神社の起こりである。神社の建物は、時代が下って後に建てられたものである。
神社の建物は後付けで、本当の神殿は、森林そのものである。
日本の森林の中を歩くとき、これこそ神殿であると感じる。
開発が進んだ都会の中に、こうした森林が手つかずで残されていること自体、日本人の原始的な信仰が、現代にも生きていることを示している。