石碑

用瀬宿

鳥取市用瀬(もちがせ)町用瀬は、江戸時代には宿場町であった。 用瀬宿は、智頭宿から鳥取城に向かった場合の次の宿場町である。当時の戸数は約280戸、人口は約1000人を数えたという。 本陣、牢屋、制札場が設けられ、十数匹の駅馬も用意されていた。 用瀬…

津山市加茂町ところどころ

津山市加茂町の中心部にある万燈山古墳の見学を終えると、加茂町の中心部から倉見川沿いに北上した。 県道336号線を約4キロメートル行くと、木もれ陽の森キャンプ場に入っていく細い道がある。 このキャンプ場の中に、8世紀半ばのたたら製鉄の遺跡であるキ…

渋川海岸

宇野港から南に行き、岡山県玉野市玉の町並みに入る。 ここには、大正6年に開設された三井造船所がある。 三井造船所 当時、三井物産株式会社は、海運業から造船業に経営を拡大していた。昭和12年には、株式会社玉造船所として独立し、昭和17年に三井造船と…

雪見御所旧跡

祇園神社のすぐ西側には、神戸市兵庫区から北区に抜ける国道428号線が通っている。 この国道、通称有馬街道と呼ばれている。 有馬街道 特に平野交差点から祇園神社の間の坂を祇園坂と呼ぶらしい。祇園神社の参拝を終えて、祇園坂をぶらぶらと下り始めた。 祇…

夢二郷土美術館

東山墓地から岡山の市街地に入っていく。 岡山市中区浜2丁目にある夢二郷土美術館を訪れた。 夢二郷土美術館 夢二郷土美術館は、岡山が生んだ詩画人・竹久夢二の作品を収蔵展示する美術館である。 竹久夢二は、明治17年(1884年)に岡山県邑久郡邑久町で生…

宝積山能福寺 後編

神戸の市街地にある寺院の伽藍で、戦前から残る木造建築は稀である。昭和20年の神戸大空襲により、木造の寺社建築はほとんど焼失してしまった。 私が今まで訪れた神戸市街地の寺院の伽藍は、戦後に鉄筋コンクリートで再建されたものばかりである。 これは神…

来迎寺 札場の辻跡 岡方惣会所跡

大輪田泊の石椋のすぐ北東に、浄土宗の寺院、来迎寺(築島寺)がある。 地名で言うと、神戸市兵庫区島上町2丁目に建っている。島上町は、承安年間(1171~1175年)に、平清盛が造った人工島の経ヶ島の上に出来た町である。 来迎寺は、元々はここから北西の…

和田岬砲台 大輪田橋 清盛塚・琵琶塚

今までの史跡巡りで、幕末に築かれた舞子砲台と松帆砲台を紹介したが、神戸市兵庫区和田崎町1丁目の三菱重工業神戸造船所の敷地内にも、幕末に築かれた砲台の一つである和田岬砲台がある。 和田岬砲台を管理する三菱重工業神戸造船所は、海上自衛隊が使用す…

松帆の浦

淡路島の最北端一帯の海岸は、松帆の浦と呼ばれている。 古来から、何度も和歌に詠まれてきた歌枕である。 松帆の浦 現在の松帆の浦の東側は、波が砂利に打ち寄せる自然の海岸であり、そこに立つと、明石海峡の対岸が指呼の間に見える。 松帆の浦を詠んだ有…

八頭町東部の史跡

若桜町を後にして、鳥取方面に走ると、八頭(やづ)郡八頭町に入る。 八頭町用呂にあるのが、国指定重要文化財の矢部家住宅である。 矢部家住宅 矢部氏は、元々駿河の武家であったが、鎌倉時代初頭の梶原景時の変での功績で、矢部暉種(あきたね)が因幡国20…

若桜の寺院2

西方寺を出て寺通りを更に南に歩く。 浄土宗の寺院、寿覚院がある。 寿覚院 本堂 本堂向拝下の彫刻 寿覚院の元となる寺は、浅井山中腹の寺谷という地にあったらしいが、慶長九年(1604年)に、若桜鬼ヶ城主・山崎家盛の妻が帰依し、寺を若桜宿古寺ノ元に移し…

伊勢道

若桜は播磨から鳥取城下に抜ける因幡街道沿いの宿場町である。 若桜から南に行けば播磨だが、東に行けば但馬に抜ける。 若桜から但馬に抜ける道は、氷ノ山道若しくは伊勢道と呼ばれてきた。因幡から伊勢神宮に詣でる人たちが、この道を通ったからそう呼ばれ…

村上帝社 関守稲荷神社

神戸市須磨区須磨浦通4丁目にある村上帝社は、「天暦の治」と呼ばれる天皇親政を布いて、国風文化の黄金期を招来した第62代村上天皇を祀る神社である。 村上帝社 赤鳥居脇の「村上帝社琵琶達人師長」の石碑 天暦年間は、西暦947年から957年までの間である。…

敦盛塚 

神戸市の垂水区から須磨区に入ると、律令制の行政単位で言う摂津国に入ったことになる。 摂津は畿内のなかの一国である。畿内は言うまでもなく、山城、大和、摂津、和泉、河内の五カ国である。これから日本の歴史上、長らく「首都圏」だった地域の史跡を巡る…

生野の変

文久三年(1863年)10月11日、尊王攘夷派の元福岡藩士・平野国臣、長州藩士南八郎(本名河上弥市)らは、いわゆる七卿落ちで長州に落ち延びた公卿の澤宜嘉を総帥に迎え、倒幕のため但馬国生野の地で挙兵する。 翌12日、志士達は生野代官所を襲撃し、無血占拠…

神戸市西区 太山寺 中編

三重塔を観終わって、国宝の本堂に向かう。 本堂は、正面七間、奥行き六間の大きな建物で、鮮やかな薄緑色の銅板で屋根が葺かれている。かつては本瓦葺だったそうだが、昭和39年の解体修理工事で銅板葺きに葺き替えられたらしい。瓦葺の本堂も見てみたかった…

比金山如意寺 前編

今年8月5日の当ブログの記事「明石市立天文科学館 前編」で紹介したように、明治43年に、当時の明石郡の小学校教員たちが私費を投じて、子午線が通過する場所に子午線通過地識標を建てた。 一つは現在の明石市天文町に建てられたが、もう一つの識標は、現…

人麿山月照寺、柿本神社 後編

歌聖と称される万葉歌人の第一人者・柿本人麻呂を祀る柿本神社。かつては人丸社とも呼ばれていた。 昨日も紹介したが、柿本神社は明治4年の神仏分離令により、月照寺から独立した神社となった。 柿本神社神門 柿本神社の神門前には、ちょっとした展望広場が…

明石市立天文科学館 前編

明石は時の街とも呼ばれている。日本標準時の基準となる東経135度の子午線がこの町を通っているからである。 この子午線上に太陽が南中した時、日本全国が正午となる。 東経135度の子午線が、日本標準時の基準となったのは、明治21年1月1日のことである。 …

美作の古墳

大和盆地の纏向地方に前方後円墳が出現し始めたのが、3世紀初頭である。少なくともこの時期までに、現在の皇室につながる王権が大和に誕生したと言われている。最近の歴史学会ではこれを大和王権と呼んでいる。 大和王権は、大和の大王を首長として、その下…

備前長船 後編

備前長船刀剣博物館の前には、近代備前長船の刀匠今泉俊光の工房を再現した、今泉俊光刀匠記念館がある。 今泉俊光刀匠記念館 今泉俊光は、明治31年に佐賀県小城郡小城町で生まれ、祖父の影響を受けて幼いころから刀作りに興味を持ち、釘を潰して小刀を作っ…

月の輪古墳 楯之舎塾跡

周匝城跡から北東に行った岡山県久米郡美咲町飯岡(ゆうか)にある大平山は、標高約314メートルの山である。 この山の山頂に、5世紀前半に築造された月の輪古墳がある。 大平山 大平山山頂近くまでは、舗装路が続いている。月の輪古墳の手前まで、自動車で…

野﨑浜

野﨑武左衛門が開拓した野﨑浜の塩田は、昭和44年には廃止となった。 日本の製塩法は、昭和40年代には、イオン交換膜と電力を利用して鹹水を作り、真空式蒸発缶で煮つめる方法が公式に採用されることになった。 広い土地面積と莫大な労力が必要とされる塩田…

湯川山法光寺

北播磨地方は、酒米の産地である。有名なのは、山田錦である。 酒米の生育には、昼夜の寒暖差が大きい、内陸性の気候が適している。地形的には風通しがよい、丘陵地の山麓が最適で、粘質土壌の凝灰岩の地質がいいとされている。北播磨は、この条件に合致する…

三木城跡 細川庄

三木市上の丸町一帯が、国指定史跡の三木城跡である。今まで紹介した、雲龍寺や三木市立みき歴史資料館、三木市立金物資料館も、三木城跡に含まれる。 三木城跡の見取図 三木城は、15世紀後半に別所則治により築城された。当時は、東播磨随一の要害であった…

岡山市孤児院発祥地 安仁神社 紅岸寺跡

弘法寺から西に行き、岡山市東区に入る。 岡山市東区上阿知にあるのが、岡山市指定史跡である岡山市孤児院発祥地である。 岡山市孤児院発祥地の石碑 岡山市孤児院発祥地には、「永懐斯人」と記された石碑が建っている。 今この石碑の建っている場所には、か…

魚住の泊 明石原人

兵庫県明石市大久保町江井島にある江井島港は、沖に淡路島を望む風光明媚な漁港である。 江井島港は、行基菩薩が開いた摂播五泊と呼ばれる古代の港の一つ、魚住の泊があった場所である。 ちなみに摂播五泊は、室生泊(たつの市御津町)、韓泊(姫路市的形町…

日本原

岡山県勝田郡奈義町、同郡勝央町、津山市にまたがるように広がる台地を日本原という。 岡山県と鳥取県の県境に聳える那岐山の南側に広がる台地である。 日本原 正徳年間(1711~1716年)に、日本全国廻国巡礼を終えた福田五兵衛という人物が、広戸野と呼ばれ…

築山古墳 備前福岡

竹久夢二生家から北東に走る。 岡山県瀬戸内市長船町西須恵にある築山古墳を訪れる。 築山古墳 築山古墳は、全長約82メートルの前方後円墳である。5世紀後半から6世紀前半にかけての古墳とされている。写真右側が後円部となる。 明治40年(1907年)に後円…

錦海湾 若宮八幡宮

虫明から、岡山ブルーラインという自動車専用道路に入る。この道は、備前市から岡山市までを結ぶバイパスのようなもので、かつては有料道路だったが、今は全線無料である。 ブルーラインという名称から、この道路が海沿いを通っているものと思われがちだが、…