私がメリケンパークを訪れた昨年12月26日には、幸いにも日本丸が神戸港を訪問しており、中突堤に停泊していた。
この船は、昭和59年に竣工した二代目の日本丸である。日本丸は、独立行政法人海技教育機構に所属する実習船として、船員の育成に貢献している。
初代の日本丸は、昭和5年に竣工し、昭和59年まで活躍した練習帆船で、帆を広げた時の優美な姿から、「海の貴婦人」「太平洋の白鳥」などと呼ばれた。
初代日本丸は、延べ1万人の船員を育成した。
帆船の操船技術は、今でも航海の基本として教えられているのだろう。
私は幼いころから帆船が大好きで、子供のころは自分で鋏を使って厚紙を切り、帆船の玩具を拵えていた。
帆を広げた帆船を見るだけで、気持ちが晴れて夢が膨らんでいく気がする。
史跡巡りの途中で、偶然にもこの海の貴婦人に出会えたのは、幸運以上の何かのように思えた。
メリケンパークの南側には、海を背景にして「BE KOBE」のモニュメントがある。若いカップルなどが順番に並んで記念撮影をしていた。
海辺の光景は、人を陽気に、開放的にさせる。
メリケンパークを散策する人たちは、皆幸せそうな様子をしていた。
メリケンパークの中央付近には、明治29年に日本初の映画が神戸で公開されたことを記念して昭和62年に建てられた、メリケンシアターの碑がある。
石碑の中央が映画のスクリーンのように四角にくり抜かれており、そこから覗いた海景が、映画のシーンのように見える。
メリケンシアターの碑の近くには、地面から丸い石が多数頭を出しているが、よく見ると各石に著名な映画俳優の名と出生年が刻まれていた。
映画は、一定の間、架空の現実の中に人を引き入れてくれる。最近あまり映画を観なくなったが、観ている間現実を忘れさせてくれる良質な映画に浸りたいものだ。
神戸港は、貿易港というだけでなく、日本から世界各地に移住した移民たちの船出の港でもあった。
明治41年には、781人のブラジル移民を乗せた移民船笠戸丸が神戸港を出港した。
今ブラジルに住む日系ブラジル人の祖先たちの多くは、この笠戸丸に乗って祖国を離れたことだろう。
現在、世界には約250万人の日系人がいるそうだが、明治大正昭和期には、多くの日本人が希望を胸に世界に旅立ったことだろう。
メリケンパークには、そんな希望に満ちた移民を象った「希望の船出」の碑がある。
メリケンパークの南端に立って海の方を眺めると、人工島ポートアイランドがあり、その先に海が続いている。
海は、世界中につながっている。この海をつたって行けば、アメリカにも中国にも、インドにもヨーロッパにも、中東にもアフリカにも行ける。
日本の歴史は常に海と共にあった。波濤を越えて外の世界に出ようとする日本人の冒険心と、遠く海外から海を越えてやってくる人や物が、日本の発展の原動力になってきた。
日本列島を取り巻く海には、感謝することしきりである。