新興寺から国道29号線を鳥取市方面に進む。
江戸時代には、鳥取から姫路までの街道沿いには、宿場町が形成されていた。鳥取から播州までの間の街道は、若桜街道と呼ばれていた。
若桜街道の若桜宿から鳥取城方面に向かう次の宿場町が安井宿である。
宿場町には、参勤交代時に藩主が宿泊する本陣があった。安井宿には、石州瓦を葺いた土塀を巡らした住宅が現在も残るが、その中で、お城のような門構えの住宅があった。ひょっとしたらこれが本陣跡ではないかと思った。
江戸時代には、このような立派な門を出入り出来る人物は、身分の高い武士のみであった。
町中には、古い洋風建築も残っている。昔の公会堂の跡だろう。
安井宿のある若桜街道と並行して国道29号線が通っている。ここに限らず、現代の主要幹線は、昔の街道が通る場所の近くを通っていることがある。
自動車が頻繁に通る国道のすぐ脇に、こんな静かな古い道が残っているのは、全国的に珍しくないことである。
安井宿から国道29号線を鳥取方面に向かって約2キロメートル走ると、物産館みかどの大きな柿のモニュメントが目に付く。
この辺りは、昔は大御門村と呼ばれていた。鳥取県特産の花御所柿の産地である。
周辺には、柿の畑が広がっている。
秋になると、赤く色づいた柿の実があちらこちらに垂れる風景が見られる。
天明年間(1781~1789年)に、大御門花(現鳥取県八頭郡八頭町花)に住む野田五郎助が、西国三十三所巡礼の途中、大和でもらった柿の一枝を、自宅の柿に接ぎ木した。
そうして生まれたのが花御所柿であるという。
八頭町花にある諏訪神社の前には、昭和17年に建てられた野田五郎助を顕彰する石碑がある。
顕彰碑のすぐ側にある諏訪神社は、承平二年(932年)に信州の諏訪神社本社から勧請されたものとされている。
中世には、社地、社殿共に宏壮であったというが、戦乱の末に社殿と記録は失われた。
中世には、先日紹介した新興寺とこの諏訪神社の寺社領が、隣り合わせであったことだろう。
諏訪神社参道の狭い石段を登ると、右手に八頭町指定文化財の大タモの木がある。
樹齢約550年、周囲約8メートル、樹高約13.5メートルの大木である。
タモは、日本の暖地に生息する常緑喬木である。この大タモの巨大な幹な一部は、洞になっている。
さて石段の上にある諏訪神社の本殿は、小さいながら微細な彫刻が施された名建築であった。
諏訪神社本殿は、元治二年(1865年)に再建されたものである。
杮葺きの屋根が朽ちてきているが、向拝下や本殿側面の獅子の彫刻は見事である。
特に獅子の彫刻が躍動感があって素晴らしい。以前紹介した智頭町の諏訪神社の本殿彫刻も良かったが、この神社の彫刻も負けず劣らずの出来栄えである。
獅子の彫刻の脇に、「今嶋源治良龍翫」と作者の名が刻まれている。腕の立つ職人は、自分の名を残しておきたいものなのだろう。
江戸時代の街道沿いの宿場町は、戦後になって新しい自動車用の国道が出来ると、徐々に寂れていった。
町の浮沈は、交通状況や経済状況の変化により変わっていく。今進行している燃料高や円安が、いずれ日本の交通事情を変え、それに伴い日本の風景を変えていくことであろう。