最上稲荷の寺域は広大である。
背後の龍王山の山頂には奥之院がある。
私は先ず、最上稲荷を開基した報恩大師の御廟に詣でようと思った。
境内は参拝客でごった返していたが、御廟のある最上霊園に行くと、私1人しかいない。静かな気持ちになった。
霊園の石段を登っていくと、最高所に報恩大師の御廟がある。
備前に寺院を沢山建立した報恩大師の終焉の地は、備中であったようだ。
報恩大師が亡くなったのは、延暦十四年(795年)である。
ここから麓を見返すと、高松地区が一望できる。大鳥居から最上稲荷まで続く県道は、参拝客の車で渋滞している。
まだ続々と参拝客が来るようだ。
さて、御廟に詣でて報恩大師に挨拶を済ませ、境内に戻った。
仁王門の奥の石段の上には、最上三神を祀る本殿(霊光殿)がある。
本殿に祀られている最上三神は、「法華経」を神格化した最上位経王大菩薩と、八大龍王尊、三面大黒尊天のことを指す。
本殿は、昭和54年に建造されたものである。巨大な建物だ。
それにしてもすごい数の参拝客だ。
本殿内では、僧侶による祈祷が行われている。祈祷を受けたい人は、祈祷料を払えば本殿内に入ることが出来る。
最上三神のうち、本尊の最上位経王大菩薩は、「法華経」の精神を心にして、慈悲を以て人々の苦しみを和らげ、五穀豊穣、商売繁盛、開運招福など様々な利益を与えて下さるそうだ。
八大龍王尊は、水を司る神様で、旱魃や水難を退散して下さるとのこと。
三面大黒尊天は、魔障を払い人々に幸福を授ける神様で、施福神、福徳神、憤怒神の三つの顔を持っているそうだ。
報恩大師が開基した龍王山神宮寺は、秀吉の備中高松城攻めで焼亡した。
本尊の最上位経王大菩薩の像は救い出され、龍王山中腹の八畳岩の下に祀られたという。
その後、この地を領した花房職之が、慶長六年(1601年)に日蓮宗の日円上人を招聘し、稲荷山妙教寺として再建したそうである。
それにしても最上稲荷は、これほど多くの人の願いを受け続けて、よくも苦しくならないものだ。
むしろ、人々のよりよく生きたいという願いを吸収して、どんどん充実しているかのようなパワーを感じさせてくれる。