温泉寺宝物館を出て、すぐ西側にある本堂に向かう。
本堂は別名大悲殿という。温泉寺の中興清禅法印が、至徳四年(1387年)ころに建立した建物で、但馬で最も古い建物である。
和様、唐様、天竺様の三様式が絶妙に融和した折衷様式の入母屋造であるらしい。
和様、唐様、天竺様が融和した建物として、加古川市にある国宝・鶴林寺本堂を見たことがあるが、温泉寺本堂は、鶴林寺本堂よりも約10年古い。
但馬にこれほどの名建築があったとは知らなかった。温泉寺本堂は国指定重要文化財である。
さて、温泉寺本堂は、拝観料を支払えば内部を見学出来る。受付は本堂の隣の本坊にある。
本坊の玄関に入ると、お寺のご婦人が対応して下さり、その後本堂を案内して下さった。
本坊と本堂の内部は写真撮影が出来なかった。
本坊に入ってすぐ奥に、弘法大師が作ったと伝えられる木造千手観音立像が祀られていた。
黒光りのする御像で、実に神々しく美しい。思わず平伏しそうになる。弘法大師が作ったものなら弘仁年間のものだろうが、実際は平安時代後期の作らしい。
私が史跡巡りで今まで目にした仏像の中で、鶴林寺の銅造聖観音立像、赤穂市普門寺の木造千手観音坐像と並ぶベスト3の仏像である。
834臂ものお手を持つ珍しい観音像であるそうだ。国指定重要文化財である。
本堂に進むと、内陣とその奥の宮殿の前まで案内して頂けた。
仏師稽文が大和国長谷寺の観音像と同木で作ったと言われている本尊木造十一面観音立像は、秘仏であり、33年に1度御開帳される。
前回の御開帳は令和3年であったため、次回は令和36年(2054年)の公開である。私が訪れた時は、もちろん拝観出来なかった。
鉈で彫られた素朴な作りの御像であるそうだ。
ご婦人の説明によると、かなり大きな仏像で、御開帳の時は宮殿から出されて、宮殿の前にお立ちになるらしい。
伝説のとおりなら、天平時代の仏像だが、実際は平安時代中期の作と言われている。
木造十一面観音立像も国指定重要文化財である。
また、宮殿の周りには、御本尊を守護する多聞天、広目天、増長天、持国天の木造四天王立像がある。迫力のある御像であった。
こちらも平安時代の作である。兵庫県指定重要文化財になっている。
本堂の内部の木組みも、面白いものだったが、写真で紹介できないのは残念だ。
本堂を出ると、石段を上がったところにある多宝塔を見学した。
二層瓦葺の多宝塔である。私が史跡巡りで訪れた11番目の多宝塔である。但馬では初めて目にする多宝塔だ。
明和四年(1767年)に再建されたもので、豊岡市指定文化財である。
多宝塔には、平安時代に作られた金剛界大日如来坐像を祀ってあるようだ。密教では、多宝塔は法身仏大日如来を祀る重要な建物である。
蟇股には、様々な鳥獣の彫刻が施されている。
中井権次一統の彫刻が施された薬師堂よりは古い建物である。これらの彫刻の作者が誰であるかは分からない。
多宝塔の西側には、鎌倉時代末期に作られた石造宝篋印塔がある。国指定重要文化財である。
反花座(かえりばなざ)、基礎、塔身、笠、相輪が完存する名品である。塔身の四面には、金剛界曼荼羅で大日如来の周囲を囲む金剛界四仏の種子が刻まれている。
品のある美しい塔だ。
多宝塔の北側には、開山道智上人の墓所がある。
この墓石は、比較的新しいものだろう。城崎温泉を開き、温泉寺を開いた道智上人に感謝し、その墓に向かって頭を下げた。
道智上人墓所の東側に、もう一つの宝篋印塔があった。
こちらの宝篋印塔は、先ほどのものよりは新しいだろうが、それでも隅飾の形状から、室町時代のものだと考えられる。
さて、多宝塔から離れて遊歩道を登り、大師山山頂を目指した。
短い登山だが、息が上がった。
大師山山頂には、温泉寺奥の院である大師堂がある。弘法大師空海が祀られている。
この山頂までは、城崎温泉ロープウェイを用いて上ることも出来る。山頂には、城崎温泉を訪れた兼好法師の碑や、慈母観音の像、日本海で獲れた蟹を供養する「かに塚」などがある。
山頂にはベンチがあり、観光客が座って談笑している。初夏の心地よい風が吹き抜けた。
展望所からは眼下に円山川の河口付近が見える。木の枝葉がなければ、温泉街も見えただろう。
但馬の伝説では、かつて天日槍や海部直命が開削したという河口である。その出来事も、道智上人による温泉寺開創から300年ほど前のことだろう。
城崎の歴史は、この場所からの眺めの中に収まる。
湯治場としての城崎の歴史は、昔から今まで少しも変わらぬ。ここから城崎を見下ろすと、道智上人が温泉とお寺を創めたのも、ついこの間のことのように感じる。