補陀落山慈眼寺観音院

 立川吉村家住宅を眺めた後、鳥取市上町にある天台宗の寺院、補陀落山慈眼寺観音院に赴いた。

 この寺は、国指定名勝の観音院庭園で名高い。

観音院の参道

観音院鐘楼門

 観音院は、寛永九年(1632年)に池田光仲が備前から因幡に国替えとなった時、光仲に従って岡山から鳥取に来た高僧専伝が、栗谷の地に雲京山観音寺を建立したのが始まりとされている。

 その後、栗谷の地が東照大権現勧請に際し藩の御用地になったため、観音寺は寛永十六年(1639年)に現在地に移転し、補陀落山慈眼寺観音院と称するようになった。

境内

 山川出版社鳥取県の歴史散歩」によれば、この寺の墓所には、江戸時代の力士の佐渡ヶ嶽初五郎の墓と、江戸時代中期の鳥取藩の絵師狩野友貞の墓があるとのことだった。

 鐘楼門を潜ってから右に行くと、墓地があった。墓地は広大であり、どこまでも続いているように見えた。酷暑の中の墓探しには骨が折れた。

 墓地のほぼ中央に、ブロック塀に囲まれた佐渡ヶ嶽の墓があった。

佐渡ヶ嶽初五郎の墓(右側)

 3つ並んだ墓の内、向かって右が佐渡ヶ嶽の墓である。

 墓石には、佐渡嶽澤右衛門墓と刻まれている。

 佐渡ヶ嶽は、明和年間(1764~1772年)ころから現在まで続く相撲界の年寄名跡の一つである。

佐渡ヶ嶽の墓

 墓石の側面には、文政七年(1824年)甲申歳七月十七日という命日が刻まれている。

側面に刻まれた文政七年甲申歳七月十七日の命日

 文政七年七月に亡くなった初五郎は、佐渡ヶ嶽4代目の力士だったようだ。

 佐渡ヶ嶽初五郎の墓は見つかったが、狩野友貞の墓は見つからなかった。

 暑さに参りそうになったので、自分の力で探すのを諦めて、寺の方に訊こうと思い、 本堂の方に戻った。

本堂

 本堂の脇には、弁才天を祀ったお堂があった。新しい弁才天の像が祀られている。

弁才天

弁才天

 酷暑の時は、水の神様である弁才天が益々有難く感じられる。

 さて、庭園拝観のため受付に行き、お寺のご婦人に狩野友貞の墓のことを尋ねると、意外にも御存じなかった。

 ネット上にも情報がない。寺の関係者が知らないとなるとお手上げである。私はついに狩野友貞の墓探索は諦めた。

 拝観料を払って、書院の玄関から入り、庭園に向かった。

書院の玄関

 庭園に面した座敷から、縁側を通して美しい庭園を眺めることが出来る。

 私が座敷に行くと、先ほどのご婦人がお抹茶と和菓子を持ってきて下さった。

座敷

抹茶と和菓子

 ありがたく頂いた。抹茶は温かかったが、飲むと不思議と涼しい気持ちになった。

 抹茶を頂きながら眺める庭園は格別である。

座敷から眺めた庭園

 書院の正面に長い池を配し、池の背景のなだらかな山腹は芝生で覆い、山上の樹叢はいかにも自然に育成している。

 池の左側には長円形の低い島を浮かべ、亀頭、亀尾と見受けられる石を配し、亀島と称している。

 その背後には、石を組んで滝を作っている。

亀島と石組の滝

庭園の北側

庭園の南側

 庭園の最南端には、昭和32年岡山県鳥取県指定保護文化財となった切支丹灯籠がある。

切支丹灯籠

 なぜここに切支丹灯籠があるかは分からない。

 作為を感じさせない、実に優美な庭園だ。

 観音院庭園は、江戸時代を代表する庭園として、二条城二之丸庭園より2年早い昭和12年に国指定名勝となった。

 庭園の山上の木々の向こうは墓地になっている。木々の間から僅かに庭園を見下ろすことが出来る。

山上から見下ろした庭園

 書院から本堂は繋がっていて、本堂内部を拝観することが出来た。

 本堂の厨子の中には、本尊が祀られている。観音院という名前から、観音菩薩が祀られているものと思ったが、本堂に掲げられた本尊の写真を見ると、像の姿や光背の形は明らかに阿弥陀如来坐像である。

本尊の観音菩薩坐像

 だが通常阿弥陀如来が着けていない宝冠や瓔珞を着けていて、左手に蓮を持っている。

 これらは観音菩薩像の特徴である。

 元々阿弥陀如来像として作られた像を観音菩薩像に改めたものと思われる。

厨子とお前立の像

 なぜ阿弥陀如来観音菩薩に改められたのかは分からない。

 だがそこに、何がしかの人々の願いが入り込んだように思われる。

 寺の裏に、かつて長田山と呼ばれたが、大正時代に水道配水池が設置されたことにより水道山と呼ばれるようになった山がある。

 以前紹介した美歎水源地からこの水道山まで水が来て、ここから水が鳥取市街に分配された。

 水道山の上に大正11年に建てられた鳥取水道紀功碑があるという。

水道山への道

 だが水道山に登る道は、関係者以外立入禁止であったため、見学は諦めた。

 それにしても暑い。娑婆世界の寒暑も生老病死も何かの縁である。この暑さを有難いものとして受け取ろうと思ったが、暑いものはやはり暑かった。