本堂の東側には、薬師堂がある。薬師堂には、花山院本尊の薬師如来坐像と、両脇侍の日光・月光菩薩像、十二神将像が祀られている。
花山院が開創された時、法道仙人が薬師如来像を本尊として祀ったと言われているが、この像は勿論それより遥か後の像であろう。
それにしても、優しそうな御像である。
さて、境内には、花山法皇御廟所とされる場所がある。
花山法皇は、寛弘五年(1008年)二月八日、京都の邸宅で亡くなった。享年41である。
花山天皇陵は、京都市北区の紙屋川上陵とされているが、花山法皇が晩年隠棲したこの花山院にも、御廟所とされる場所があるのだ。
御廟所には、室町時代に建てられたと見られる宝篋印塔がある。
花山院にある御廟所は、本当の墓所ではなくて、花山院の僧侶が亡くなった法皇を敬慕して、後世に築いた供養塔であろう。
境内から西に行くと寺務所があるが、その手前に三宝大荒神を祀るお社がある。
三宝大荒神の厨子は、華麗に装飾された金色に輝く厨子であった。
三宝荒神は、日本で独自に発展した仏教の守護神である。仏教で三宝と呼ばれる仏法僧を守る神様として、寺院などに祀られている。
江戸時代には、災難を除ける神様として、竈のある民家の台所によく祀られた。
この三宝大荒神は、花山院の守護神として祀られているのだろう。
事務所の境内には、不動堂があり、やや古そうな不動明王立像が祀られている。
寺務所の敷地には、展望所があり、東光山の南側の風光を堪能することが出来る。
東光山の南側には、有馬富士と呼ばれる円錐形の山が聳えている。
有馬富士の彼方に見えるのは、六甲山である。
この風景は、花山法皇が晩年に愛でた風景である。
法皇は、京都で死期を迎えた時、必ずこの有馬富士の見える風景を思い出していたことだろう。