薬師堂の参拝を終えて外に出た。
境内には、聖観世音菩薩像を祀る観音堂がある。
昭和58年に建立された新しいお堂だ。
薬師堂の東側には、弁天池に浮かぶ弁天堂がある。
こちらは正徳三年(1713年)に建立されたものである。池に掛けられた石橋も、310年前のものだろうか。
弁才天は、長安寺の鎮守尊である。財福、知恵、学芸、音楽を授ける天女である。
大方丈と弁天堂の間の道を抜けて、石段を上がると、開山堂がある。
開山堂には、天正十三年(1585年)に長安寺を再興した眼光恵透禅師を祀っている。開山堂は、寛政八年(1796年)の建立である。
長安寺は臨済宗の寺院なのに、なぜか弘法大師空海を祀っている。
私は、曹洞宗の寺院でも弘法大師を祀っているのを見たことがある。
日本の仏教の宗祖で、他宗派にも祀られるのは、弘法大師くらいだろう。
その超人的な能力もさることながら、若かりし頃、人の道を求めて紀伊半島や四国の山々を跋渉して修行した山林修行者としての空海に、人々は親しみと尊敬を持つのだろう。
空海が他宗派からも尊敬されるのは、求道者としての姿に普遍性があるからだと思われる。
大師堂の隣には、聖徳太子を祀る祠がある。
聖徳太子は、日本に仏教を弘めた日本仏教界の恩人のような人物である。
日本仏教の全宗派が祀っていてもおかしくない。
さて、開山堂の裏手には、長安寺に帰依し、長安寺を再興するに当たって援助をした福知山城主杉原家次の墓石がある。
墓石は石造五輪塔である。天正十三年(1585年)に建立された。福知山市指定重要文化財となっている。
石造五輪塔の脇には、杉原家次公の家臣達の墓石がある。
杉原家次は、秀吉の正妻寧々の伯父にあたる人物で、秀吉の家臣として活躍し、山崎の合戦後に明智光秀の居城だった福知山城を秀吉から与えられた。
家次が、自分が眠る場所として選んだのが長安寺だった。