羽出地区から北上し、岡山県と鳥取県との県境にある岡山県立森林公園を訪れた。
岡山県立森林公園は、昭和43年に明治100年記念事業として整備が始まり、昭和50年7月に開園した。
公園入口の標高は、約840メートルで、公園最高所である「きたけ峰」は標高1108メートルである。
標高が高い場所にある森林公園は、高原地帯といってよい。
私が訪れた5月14日は、瀬戸内海側の気温は18度であったが、森林公園は11度で、肌寒いほどであった。
公園内の標高差は約270メートルで、それほど苦労せずに1000メートル級の山々の峰に到達し、散策することが出来る。
面積は約334ヘクタールで、広大な公園である。
私が訪れた日は、生憎の雨で、公園全体が濃霧に覆われていた。
公園入口から入ってすぐある管理センターに入ると、暖炉が焚いてあった。暖炉の暖かさが心地よかった。
管理センターには、公園全体の模型が展示してあった。
公園の北側と西側は、鳥取県境に接している。
公園を訪れるまでは、鳥取県境にある標高1090メートルの千軒平まで行ってみようと思っていた。
千軒平からは、伯耆の大地と、名峰大山を眺めることが出来ると聞いていたからである。
だが、公園を歩いているうちに、どこに行ってもこの雨と霧では眺望が効かないと思い、諦めることにした。
公園は遊歩道がよく整備されていて、歩き良かった。
霧の中に立つ樹々が、幻想的な雰囲気を出していた。
管理センターから西に歩くと、すぐ小川があった。
靄のかかった小川が美しい。
少し進むと、樹齢約270年のマユミがあり、その周囲にバイケイソウが植えられていた。
ここで散策を終えて引き返した。もっと天気のいい時に来れば、より楽しめただろう。だが雨と靄の中の森林公園もいいものである。
さて、森林公園から東に車を走らせると、上斎原に向かう道が接続する三叉路の交差点に出る。
この交差点の南西側に、人形仙三十七人墓という墓地がある。鏡野町指定文化財となっている。
この辺りは、かつて人形仙国一山という鉄山があって、たたら製鉄に使う鉄が採掘されていた。
明治12年に、この鉄山でコレラが流行した。職人や家族62人が感染し、その内37人が死亡したという。
墓地には、鉄山経営者が建てた供養塔と、亡くなった37人の墓石がある。
墓石の中には、塚の上に石を置いただけのものもある。
ここから周囲3キロメートルは、人家がない山の中の墓地である。今となっては、訪れる人も稀だろう。実に寂しい場所である。
まだ日本の衛生環境が良くなかった時代に、感染症の犠牲者となった方たちの墓石に向かって、静かに瞑目して手を合わせた。