三段池公園の南側に、戦国時代に築かれた山城の跡である猪崎城跡がある。
猪崎城跡は、天文~永禄年間(1532~1569年)に築城された山城で、明智光秀が丹波を平定する前に築かれたものである。
城跡のある城山は、高さ50メートルほどの低山で、見学にはさほど苦労しない。
城山の北東に、登山口がある。
城の主郭である本丸は、東西約45メートル、南北約50メートルで、本丸跡の北、東、南に土塁が築かれている。
土塁と本丸の間は空堀になっているが、通路としても使われていたことだろう。
主郭に向かって歩き始めたが、すぐに主郭東側の段々になった曲輪が見えてきた。
この城跡の特徴は、まばらに立ち木があるが、藪に覆われていないことである。
山上にある城跡は、雑木林や藪や雑草に覆われて、防御機構の形が明瞭に認識出来ないことが多い。
猪崎城跡は、芝草に覆われているだけなので、城の防御機構が明瞭に分かる。福知山市の努力に感謝する。
城の西側に、広い曲輪がある。
さて、この城跡で圧巻なのは、主郭を囲む土塁と空堀である。
私は、北側の土塁と空堀から見学した。
北側の空堀を東に向いて歩いていくと、途中、長方形の穴がある。
防御側の兵が詰めた武者だまりか、敵兵を足止めするための穴だろう。
敵兵が土塁を乗り越えても、今度は空堀で足止めされて、主郭から攻撃されることだろう。
更に東に向かって歩くと、土塁と空堀が続く。これ程明瞭に土塁と空堀を見学できる山城を、私は初めて見た。
土の城好きには堪らない城跡だろう。
さて、本丸跡に上がると、かなり広い曲輪であった。
本丸跡には、石碑のようなものがあったが、城跡とは無関係であった。
本丸跡の北西隅には、周囲より一段高くなった場所がある。矢倉台跡とされている。
本丸跡から西側を見ると、由良川の向こうに。福知山の市街が見える。
さて、本丸跡から降りて、今度は南側の土塁と空堀を見学した。
そんなに舐めるように土塁と空堀を見て、一体何が楽しいのかと思われるかも知れないが、一度土の城の魅力に取りつかれると、こんな風景が楽しくてしょうがなくなるのである。
同じ土の建造物である古墳の魅力にも通ずるものがある。
今度は、土塁の外側から土塁と主郭の方を見てみる。
土塁の外側から土塁上に至る傾斜はかなり急である。あの土塁の向こう側に、弓と槍で武装した敵兵がいるとしたら、かなり手強いだろう。
土の城の魅力は、たかが土の造形だけで、ただの山を戦闘力の高い城にしてしまうというところにある。
私は今まで史跡巡りをしてきて、100以上の城郭を見てきたが、ここまで土で出来た防御機構を堪能できた城は初めてだ。これぞ、ザ・土の城だ。
正直言って、土の城を満喫出来る城跡として、猪崎城跡は関西有数ではないかと思うが、残念ながら全くもって有名ではない。
福知山市には、もっと宣伝してもらって、この城の素晴らしさを世の中に知らしめて欲しい。