御霊神社から三田市街に戻り、三田市屋敷町にある旧九鬼家住宅資料館を訪問した。
旧九鬼家住宅資料館は、天保六年(1835年)に越賀家の三男として屋敷町に生まれ、明治3年に三田藩の家老九鬼隆継の養子になった九鬼隆範(りゅうはん)が、明治8年頃に建築した擬洋風建築の建物である。
隆範は、その後工部省鉄道寮に入り、鉄道技師として日本の鉄道の発展に尽力した。
旧九鬼家住宅主屋1階は、壁が漆喰と板張りで仕上げられており、格子戸や障子が嵌められた和風様式で、2階は壁が漆喰で仕上げられ、窓は鎧窓という洋風の造りになっている。
主屋2階の東側には、洋風のベランダが巡っている。
ベランダの屋根を漆喰が塗られた円柱が支えており、円柱の間の上部はアーチ状になっている。また柱間にくり形付の手すりが備え付けられるなど、洋風の趣に仕上げられている。
1階西側の入口から建物に入ると、土間があり、その奥に台所がある。
台所には、流しの周りに、甕や壺や籠が沢山置かれている。昔の台所の収納であろう。
また、氷を詰めて冷やす昔の冷蔵庫や、製氷機も見える。
流しの写真を見て分かるように、昔の流しには水道はない。井戸から汲んだ水を桶や柄杓に入れて使った。
また台所の竈には煙突が付いていて、屋根から突き出ている。そこから外に煙が排出されるようになっている。
台所を見ると、ガス、電気、水道がない時代の生活のあり方が偲ばれる。
台所の上は吹き抜けになっていて、屋根から外に向けて煙出しが開いている。
土間から東を見ると、8畳和室、中の間、客室と和室が続いている。
土間から8畳和室に上がる。
8畳和室の次の中の間からは、床が一段高くなっている。
中の間の南側壁には、九鬼家伝来の槍が掛けられている。
奥の客室には、床の間や違い棚があり、格式の高い空間となっている。
旧九鬼家住宅は、全国的にも珍しい擬洋風建築として、平成10年に兵庫県重要有形文化財となった。
ある意味で、今や三田市を象徴する建物になっている。
擬洋風建築は、明治という時代を象徴する様式であろう。我々が生きる現代は、後世に残る様式を残すことが出来るだろうか。