土師天満宮

 福知山市土師(はぜ)町は、古代の丹波において、天皇に奉献する食器を作った贄土師部という部曲が置かれた場所とされている。

 土師部は、土器や陶器を作った職業集団である。

 日本のあちこちにある土師という地名は、概ね古代の土師部と関係がある。

 この土師町に建つのが、土師天満宮である。

土師天満宮

土師天満宮の鳥居

 土師天満宮に祀られているのは、言うまでもなく菅原道真公である。

 菅原道真の祖先は、土師氏を名乗っていた。土師氏の祖は、今では相撲の神様として祀られる野見宿禰(のみすくね)である。

 第11代垂仁天皇の皇后が薨去した時、天皇に仕えていた野見宿禰は、それまで殉死者を皇族と一緒に埋葬していた習慣を取りやめ、人の代わりに埴輪を古墳に埋葬することを進言した。

境内

 天皇にその進言が取り入れられ、野見宿禰天皇から土師臣の姓が与えられた。

 土師氏はその後代々天皇家の葬儀を司った。

 菅原家も、土師氏から分かれた家だという。

拝殿

本殿

 土師天満宮は、京都の北野天満宮の分霊を勧請したものだという。

 土師の民が、土師氏の末裔の菅公を勧請して地域の氏神として祀ったのであろう。

 境内には、末社が多数ある。

境内の様子

 本殿の隣には、国春稲荷神社がある。

国春稲荷神社

 国春稲荷神社で面白いのは、本殿を覆う覆屋の後ろに、穴が開いていることである。

覆屋の穴

 これは、稲荷神の使いである白狐が出入りするための穴だろう。

 こういうものを見ると、稲荷神や神使の狐は実在するのではないかという思いが浮かぶ。

 本殿の脇には、古い御神木の跡があるが、古い御神木から新たな御神木の若い幹が生えてきていた。

旧御神木から生えてきた新御神木

 植物の生命力の強靭さには、いつも畏敬の念を覚える。

 さて、本殿の裏には、丘の名残があり、円墳のような土の盛り上がりがある。

円墳のような土の盛り上がり

 この墳丘のようなものが一体何なのか、説明板もなければ、資料もない。

 だが私は直感的に、これは古代の有力者の墓であろうと感じた。古代人の墳丘の側に神社が建っているという例は、今までも見たことがある。これもその一つだろう。

 土師天満宮は、小さな丘の上に建っている。丘の頂上に、円墳がある。円墳が出来た頃から、この丘は地元の人々の崇敬の対象だったのだろう。

 そして時代と共に、墳墓の埋葬者のことは忘れられ、これまで崇敬されてきた丘に神社が建てられた。

 埋葬者への崇敬が、神社への崇敬へと入れ替わり、今に至ったのではないか。

 時代と共に、大切に思われていたものも忘れられていく。時間の経過というものは、残酷なようだが、全ての者を平等に包んでいるという点で、優しいものとも言える。